
昭和20年4月7日、戦艦「大和」が沖縄特攻途中で撃沈された時のエピソードです。
大和の近くには駆逐艦として「雪風」と「冬月」が護衛しており、大和乗組員の救助活動に携わっていました。
雪風の内火艇は頭部に重傷を負い、ほとんど意識不明の士官を救助しました。重傷者は雨着の襟章から大佐であることが確認されました。
救助艇には作業員として、数名の下士官兵が乗り込んでいました。救助者を拾い上げると、艇は大和の生存者を雪風へ収容するため帰途につきました。
その間、この大佐を拾い上げた上等水兵は彼をひっきりなしに殴り続けました。爆傷や疲労、飲み込んだ海水で圧迫され消耗した重傷者は、そのまま眠りこけて絶命することが頻繁にありました。
救助艇では応急処置の用意も無いので、手を休めずにただ殴り続けることが唯一の対応策だったのです。
従ってこの上等水兵の行為は理にかなった正しい処置だったのですが、雪風に到着してこの大佐を甲板に引き上げ、まだ息をしていることを確かめると、彼は帰還報告もそこそこに一目散に逃げ去ってしまいました。
当時の大佐と言えば、戦艦の艦長クラスの階級に相当します。上等水兵が大佐をボコボコになるまで殴るというのは、やはり恐れ多い行為だったのでしょう。
しかし以上のような緊急事態の場合、応急処置はこの方法しかありませんから、例えば二等水兵が溺れて負傷した海軍大将をシバく、いや殴りまくるという場合も有りえたわけです。