今回は霊界通信、『ベールの彼方の生活』(3)での内容を掲載します。
G・V・オーエン(1869-1931)。イギリスで牧師であったが自動書記による霊界通信を受け、その内容を『ベールの彼方の生活』(全4巻)として出版。国教会の長老の怒りを買い、のちに牧師を辞職した。
『ベールの・・』では霊界を地上の人間に分かりやすく解説するため、地上界を便宜上「0界」とし、霊界を上に昇っていくにつれて「第5界」、「第10界」等の記述が出てきます。
また霊界は第10界までではなく、実際にはさらに無数の階層が広がっています。
以下は「第10界」に住む霊が、地上に近い「2界」の霊たちを指導するために降りてきて、2界の住民を観察した際の記述です。
第10界の指導霊:「そこ(第2界)ではみんな好きな場所に好きなように集まっている。同じ民族の者といっしょになろうとする者もいれば、血のつながりよりも宗教的つながりで集まる者もいました。政治的思想によってサークルを作っている者もいました。
もっぱらそういうことだけで繋がっている者は、少し考えが似たところがあればちょくちょく顔を出しあっておりました。
たとえばイスラム教徒は国際的な社会主義者の集団と親しく交わり、帝国主義者はキリスト教信仰にもとづく神を信仰する集団と交わるといった具合です。(注1)
注1)『ベールの彼方の生活』は、第一次大戦と第二次大戦の合間の1920年から雑誌に掲載された。
色分けはさまざまで、その集団の構成分子も少々の内部変化があっても、大体において地上時代の信仰と政治的思想と民族の違いによる色分けが維持されていました。
それにしても、吾々第10界からの使者が来ることはすでにその地域全体に知れわたっておりました。と言うのも、この界では地上(0界)ほど対立関係から出る邪心がなく、かなりの善意が行きわたっているからです。
かつて吾々が学んだことを今彼らも学んでいるところで、それで初めのうち少し集まりが悪いので、もし聞きたければ対立関係を超えていっしょに集まらねばならぬことを告げた。吾々は小さなグループや党派に話すのではなく、全体を一つにまとめて話す必要があったからです。
すると彼らは、そう高くはないが他の丘よりは小高い丘の上や芝生のくぼみなどに集結した。吾々は丘の中腹に立った。そこは全員から見える位置で、背後はてっぺんが平たい高い崖(がけ)になっていた。
吾々はまず父なる神を讃(たた)える祈りを捧げてから、その岩のまわりに腰を下ろした。それからメンバーの一人が聴衆に語りかけた。(中略)話の内容はおよそ次のようなものでした。
かつて地上界に多くの思想集団に分裂した民族があった。そうした対立を好ましからぬものと考え、互いに手を握り合うようにと心を砕く者が大勢いた。
この界(第2界)にも”オレの民族、オレの宗派こそ神の御心に近いのだ”と考える、似たようなプライドの頑迷さが見受けられる。
吾々がこうして諸君を一個の民族として集合させ、神からのメッセージを伝えるのも、これよりのちの自由闊達(かったつ)にして何の妨げもない進化のためには、まずそうした偏狭さを棄て去ってしまわねばならないからである、と。
これを聞いて群衆の間に動揺が見られた。が、述べられたことに何一つ誤りがないことは彼らにも判っていた。
その証拠に彼らの目には、吾々のからだから発する光輝が彼らをはるかに凌(しの)いでいることが歴然としており、その吾々にもかつては今の彼らと同じ考えを抱いていたこと、そして吾々が当時の考えのうちのあるものはかなぐり捨て、あるものは改めることによって、姿も容貌も今のように光輝を増したことを理解していたからです。だからこそ静かに耳を傾けたのです。」
この点についてはシルバーバーチも
「私たち霊界の者にはもはや肉体はありません。ですから、民族、国家の別、肌の色、教義、階級の違いの観点から物事を処理することはしません。」
と、上記の第10界の指導霊と全く同様のことを語っています。
個人的な友人関係以上に国家間のつきあいは非常に難しいものです。しかし霊界ではこのように有る程度以上のレベルになると、地上的な縄張り意識から徐々に脱していく必要性に迫られます。
『ベールの彼方の生活』(3)、7章 善悪を超えて
『シルバーバーチの霊訓』(7)、3章 戦地でも愛読された霊訓
『ベールの彼方の生活』(全4巻)、Amazon、¥1,470
キーワード:霊界、人種・民族問題