
昭和16年9月、呉海軍工蔽で完成間近の戦艦「大和」
●日米で建造した大小の艦艇
日本: 38万トン(昭和19年末まで)
米国: 190万トン(昭和16年末まで)
つまり日本の艦艇兵力比は、昭和18年には米国の半分、19年には3割となることを覚悟しなければならなかった。
戦争が始まった当時は、米国からの石油輸入に代わって占領した東南アジアの資源地帯から石油を運んできました。その予定が以下の通りでした。
●石油供給量【予 定】
昭和17年: 85万キロリットル
昭和18年: 260万キロリットル
昭和19年: 530万キロリットル
しかし現実は予定のようにうまくはいきませんでした。
●石油供給量【現 実】
昭和17年: 150万キロリットル
昭和18年: 250万キロリットル
昭和19年: 100万キロリットル
⇒ 日本まで運んでくる船舶が洋上で次々と撃沈される。
昭和20年: ほとんどゼロ
⇒ 4月の戦艦大和の沖縄特攻が石油をかき集めてやっと可能となった。
以下は半藤一利氏のコメントです。
「太平洋戦争は石油に始まり、石油に終わったのである。島国日本、非資源国日本は、海上交通路が封鎖されれば、どんなに精神論を振り回しても戦えなかった。
当時の日本人は手前勝手な空中楼閣的な構想を描く癖があったが、厳しい現実の前にはすべて無効であった。」