ガダルカナル島で補給の断たれた兵士たちは飢えに苦しみましたが、その最後の食糧確保の手段として、やむを得ず共食いが行われていました。
以下は米軍捕虜となった帝国海軍中尉が、米軍からガ島の事情聴取を受けた時の記録です。
「相次ぐピストン輸送にもかかわらず、ガ島の陸軍は食糧の欠乏に喘いでいた。ガ島は正しくは餓であった。ヤシの新芽や、ヤシガニなどはご馳走のうちで、二個師団の将兵は野ネズミ、トカゲなども取りつくした。
敵の爆撃がひどいため、昼間はタコ壺に伏し、夜はトカゲを焼いて食う。そのうちに人肉を食うようになった。
死んだ戦友の尻の肉を煮て食うのであるが、そのうちはまだよかった。生きている他部隊の兵を襲って食べてしまう。また、撃墜されてパラシュートで地上に降りた米パイロットの大部分は、日本兵の胃袋のなかに消えたのである。
筆者は18年4月のイ号作戦で穣機を撃墜され、米軍の捕虜となったが、ニューカレドニアの収容所で、米軍士官の尋問官から異様な写真を見せられた。飯盒(はんごう)のなかに肉の塊が入っているのである。
『この肉を何と思いますか』
K軍医中佐は訊いた。分からないと言うと、
『これはアメリカ兵の心臓です。なぜ、日本兵はアメリカ兵を食べてしまうのですか?』
と彼は私を詰問した。
『わからない』
と答えるより仕方なかった。
後に、陸兵と親しくなって訊いてみると、彼らの大部分は人肉を食っていた。人肉を食うほどの度胸?のある者が生き残ったと言ってよかろう。ガ島は正に飢餓道の島であった。
そして、私たちは、彼らが人肉を食ったことを責める前に、そのような地獄に彼らを追いやる作戦を強行した司令部の誤れる精神主義を批判せねばならない。」
ちなみに人肉は人間の食糧としては適さないことがわかっています。かつてパプアニューギニアのフォアと呼ばれる民族が、死者を弔うための習慣として、死者の人肉を食していました。
ところが人肉食をしていた人々から狂牛病(BSE)と同様の症状が現われ、痴呆・記憶力の減退など脳の疾患で最後に死亡するといった症状が発生していました。
現在は人肉食は禁止されていますが、人間に近い種属の肉を食べるほど、この種の病気は発生しやすいのかもしれません。