海軍の消防隊 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
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ダッジポンプ車 

ダッジポンプ車:昭和11年にアメリカより輸入されたダッジブラザース社のポンプ車



 海軍の陸上部隊では、一日の仕事が終わって外出(上陸)員が出てしまうと、残っている非上陸員の一部は「派遣防火隊」として待機させられます。

 

 派遣防火隊は部隊の近くで火災が起こった場合、その現場へ派遣して消火活動をしたり、治安維持に協力したりしていました。

 

 装備としては消防車をはじめ、ハシゴ、破壊工具や防毒面まで一式揃っていました。

 

横須賀など部隊が多いところではさほど重要性はなかったですが、地方の街の航空隊などでは相当の働きをしていました。戦前の地方自治体では救急体制も貧弱だったので、海軍兵の働きはかなり重宝されたようです。

 

各分隊は非上陸員の中から下士官2名、兵5名というように、割り当てに従い隊員を拠出していました。 

 

隊員数はおよそ25名くらいで、翌日の上陸員が出るまでが隊員となっており毎日交代して勤務します。

隊員も外出した時にあちこち歩き回って街の地理を把握していたので、いざという時にも慌てることはありませんでした。

 

しかし火事は滅多にあるものではないので、実際に火災現場へ出動した人はほとんどいませんでした。

 

それでも火災の通報が入った時は、「カッコイイ消防服をまとい赤穂浪士の討ち入りよろしく、勇猛果敢に火の中へ飛び込んで行った」そうです。


ニッサン180 

ニッサン180日産が昭和16年に完成させたニッサン号180型。戦時型とも呼ばれ、当時の軍部からの要求にも応じた車両で、空襲下の東京で大活躍した。