現在は東京を始め、都市部での路上喫煙の禁止など、喫煙は昔に比べ融世の感がありますが、今回は海軍のタバコ事情を見てみます。
タバコは戦争とも関連があり、1904(明治37)年、日露戦争の戦費を調達するために、政府はタバコ産業を国の製造専売制にしました。
また1937(昭和12)年の日中戦争以降、軍事費確保のためタバコに通常の税金の他に、戦時負担金が付加されるようになりました。
士官用の煙草盆
艦上での喫煙所は「煙草盆」と呼ばれていました。上の写真は士官用の煙草盆(昭和3年)で、台上に円錐状の金属容器が置いてあるのがそれです。この中にタバコを捨てられるようになっており、内部には点火用の火縄が設置されています。
下士官用の煙草盆
こちらの写真は下士官用の煙草盆で、石綿式の敷物の上に「煙草盆」がのせられています。「煙草盆」の側面には点火用の火縄が付けられているそうですが、写真ではよく見えません。
戦前の喫煙率のデータは見つからなかったのですが、1965(昭和40)年当時の喫煙率は、男性が82.3%、女性が15.7%だったので、当時の男性は5人中4人かそれ以上が喫煙者でした。
戦前の喫煙率もこれと同程度かそれ以上だったのではと推測されます。
タバコ「ゴールデンバット」。日本最古の最も安いタバコでした。太平洋戦争前には敵性用語が禁止されたため、「金鵄」(きんし)と改名されました。
また海軍では士官向けのマナーを規定した「礼法集成」と言うものがあり、ここにはタバコの喫煙作法が掲載されていました。以下はその部分の抜粋です。
第四節 喫煙
一、
喫煙は、場所と場合とを問わず、随意にこれを為すは、宜しからず。これを嗜むものあるも、また嗜まざるものも少なからず。故に、公会その他群衆の場合など他人に煙気を及ぼす所においては、努めて喫煙を慎むべし。
【解説】 所構わずの喫煙は他人の迷惑となるので慎むよう、特に集会や人込みでは避けるよう注意しています。
二、
特に喫煙場所を設けある時は、けしてその場所以外においては喫煙すべからず。
三、
尊長と対する時は、決して己まず喫煙すべからず。また途上喫煙するにより、相知の人に遭遇る時は、礼を行うに先だち煙草を口より取り去るべし。しかれども、途上の喫煙はなるべく避くるを可とす。
【解説】 目上の人の前では吸ってはいけない、知人と会った時にはタバコを口から取り去るべし、また路上喫煙はなるべく避けなさいと戒めています。
海軍士官は兵学校でも「紳士たる振る舞いをせよ」と教えられますので、他人の迷惑にならないよう、現代でも通用するようなスマートな規定がありました。