
帝国陸軍と海軍の間の対立は有名ですが、これにも色々なエピソードがありました。
例えば昭和15年12月、山下奉文航空総監が遣独視察団長としてドイツに派遣されてから、陸軍と海軍を統合した空軍を創設しようとする動きが、急速に高まってきました。
当時の陸軍航空は北方での作戦に適用できるよう、満州を基地にしてソ連領のシベリヤを目標とする航続距離の短い飛行機が主体でした。
これに対して海軍には、太平洋で使用できる航続距離の長い渡洋爆撃機がありました。これらの長所をミックスして、陸海がお互いに競争することなく空軍として統合しようという、かなり突っ込んだ話が陸海の中堅航空将校の間で交わされていました。
しかしこの構想は、最後の段階で山本五十六海軍大将の鶴の一声で潰されてしまいました。山本五十六の拒否した理由は、陸軍に迎合して海軍の立場が弱くなるのを懸念したためでした。

当時は陸軍の巧みな世論操作で反英・親独伊のムードが国内に広がり、海軍への風当たりは一段と厳しくなっていました。
陸軍が推進する三国同盟にも批判的だった山本長官は、右翼テロに狙われて憲兵隊が護衛して歩くほどと言われ、彼は陸軍を嫌っていました。
この時代、すでに英・米・独・ソ・仏などの列強では、いずれも空軍が独立していました。
その中で日本だけが陸軍航空と海軍航空に分かれて、統合空軍にならないまま戦争に突入してしまったのでした。