原発問題は、太平洋戦争と問題構造がよく似ていると指摘されています。でたらめの大本営発表、上層部へ行くほど無能となっていく組織など、太平洋戦争に詳しい方はさもありなん、と思われるかもしれません。
太平洋戦争に突入したこの時代、世界の流れは飛行機主体の戦術へと移行しつつあったのに、海軍上層部には艦隊決戦に固執する者が多く、発想を変えてより有効な戦い方へと変えていくことができませんでした。
この理由の一つとして考えられるのは、これまでの海軍では大艦巨砲の申し子ともいえる、砲術や水雷が花形分野でした。
そのため砲術・水雷畑が多数を占める上層部では、航空機主体にされると航空分野の経験が乏しい自身の出世がおぼつかなくなる、という意識があったのではないかと推測しています。
つまり自分自身の組織内における利権が失われる可能性があるため、航空機メインの戦い方に反対していた部分もあったのではないでしょうか。
これを原発にも当てはめると、同じ構造問題が浮かび上がってきます。電力会社や政府は、すでに時代遅れとなってしまった複雑怪奇で大掛かりな発電方式(大艦巨砲主義)を未だに有難がって信奉しています。
世界ではシェールガス革命が起こり、自然エネルギーの技術革新が進み、発電方式が小規模分散型(航空機)に変わってきているのにも彼らは気付きません。
そして原発(大艦巨砲主義)から天然ガス・自然エネルギー(航空機)に移行すれば、今まで原子力村で甘い汁を吸ってきた人間たちが巨大利権を失いますから、何とか原発を維持しようと必死です。こんなところも太平洋戦争と全く同じに見えます。
日本社会の伝統的な良い部分は引き継ぎたいものですが、戦後65年以上を経た今もなお、このように巨大な負の遺産も受け継いでいたのかと思うと驚愕します。
「歴史は繰り返す」と言いますが、この問題を今度こそ修正できなければ、私には日本はまさに福島4号炉と共に倒壊してしまうのではないかと危惧しています。