![「帽振れ」の山本長官](https://stat.ameba.jp/user_images/20120530/01/zipang-analyzing/89/3e/j/o0461033612000839700.jpg?caw=800)
「『い』号作戦が続いている間、山本長官は必ず帽子を振って出撃機を見送っていた。」
昭和18年4月7日から15日にかけて、海軍は連合軍の攻撃に対し、「い」号作戦と称し艦載機でガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行いました。
これには山本司令長官が自らラバウルで陣頭指揮を取り、4月16日、日本軍は「い」号作戦は戦果を上げたとみなし、作戦を終了しました。
-「い」号作戦
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①X攻撃:ガダルカナル攻撃(4月7日)
②Y2攻撃:オロ湾、ハーベー湾攻撃(4月11日)
③Y攻撃:ポートモレスビー攻撃(4月12日)
④Y1攻撃:ラビ攻撃、Y2攻撃:ミルン湾攻撃(4月14日)
⑤山本の4月18日の視察航路(ラバウル→ショートランド島)
しかしこれは誤った誇大報告のため戦果が水増しされただけで、撃沈18隻と報告された連合軍の実際の損失は、実質駆逐艦1隻と僅少の小型艦艇、飛行機25機だけでした。
日本軍の飛行機の損失は合計43機と、損害はむしろ日本の方が多かったのですが、この実質の戦果には誰も気付かず、山本長官もこの報告を素直に信じその成果に満足していました。
「い」号終了後の4月18日、山本長官は前線視察のため、一式陸攻でラバウルを飛び立ち、ショートランド方面に向かいました。
しかしこの途中、日本海軍の暗号を既に解読して山本のスケジュールを把握していた米軍戦闘機、P-38が行く手に待ち伏せていました。
暗号を解読されているとは露知らず、零戦6機の護衛と山本らの乗った一式陸攻2機は、ブーゲンビル島ブイン上空で米軍機の攻撃を受け、一式陸攻2機が撃墜されました。この間わずか2分足らずの戦いでした。
零戦の護衛であった柳谷飛行長は、撃墜後の一式陸攻の窓から見えた山本長官について、次のように回想しています。
「長官は、草色の第三種軍装を着て副操縦席に端座している。純白の手袋をまとった手に軍刀をしっかりと握り、泰然自若たる風で瞑目しているようだ。」 映画「連合艦隊」での山本長官の最期
これが一般的に山本五十六の最期と言われていますが、実は彼は機上で戦死したのではなく、墜落後もしばらく生きていたのではないかとも言われています。