山本五十六の生涯(20)-「い」号作戦と山本の死 | 太平洋戦争史と心霊世界

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「帽振れ」の山本長官 
「『い』号作戦が続いている間、山本長官は必ず帽子を振って出撃機を見送っていた。」


 昭和1847日から15日にかけて、海軍は連合軍の攻撃に対し、「い」号作戦と称し艦載機でガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行いました。

 

 これには山本司令長官が自らラバウルで陣頭指揮を取り、416日、日本軍は「い」号作戦は戦果を上げたとみなし、作戦を終了しました。

「い」号作戦 
-「い」号作戦

X攻撃:ガダルカナル攻撃(47日)

Y2攻撃:オロ湾、ハーベー湾攻撃(411日)

Y攻撃:ポートモレスビー攻撃(412日)

Y1攻撃:ラビ攻撃、Y2攻撃:ミルン湾攻撃(414日)

⑤山本の418日の視察航路(ラバウル→ショートランド島)


しかしこれは誤った誇大報告のため戦果が水増しされただけで、撃沈18隻と報告された連合軍の実際の損失は、実質駆逐艦1隻と僅少の小型艦艇、飛行機25機だけでした。

 

日本軍の飛行機の損失は合計43機と、損害はむしろ日本の方が多かったのですが、この実質の戦果には誰も気付かず、山本長官もこの報告を素直に信じその成果に満足していました。

 

 「い」号終了後の418日、山本長官は前線視察のため、一式陸攻でラバウルを飛び立ち、ショートランド方面に向かいました。

 しかしこの途中、日本海軍の暗号を既に解読して山本のスケジュールを把握していた米軍戦闘機、
P-38が行く手に待ち伏せていました。

 

 暗号を解読されているとは露知らず、零戦6機の護衛と山本らの乗った一式陸攻2機は、ブーゲンビル島ブイン上空で米軍機の攻撃を受け、一式陸攻2機が撃墜されました。この間わずか2分足らずの戦いでした。

 

 零戦の護衛であった柳谷飛行長は、撃墜後の一式陸攻の窓から見えた山本長官について、次のように回想しています。

 

 「長官は、草色の第三種軍装を着て副操縦席に端座している。純白の手袋をまとった手に軍刀をしっかりと握り、泰然自若たる風で瞑目しているようだ。」

山本長官の最期 映画「連合艦隊」での山本長官の最期



 これが一般的に山本五十六の最期と言われていますが、実は彼は機上で戦死したのではなく、墜落後もしばらく生きていたのではないかとも言われています。