杉原千畝にまつわる思い出 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


杉原千畝 
杉原千畝。1900(明治33)-1986(昭和61)年。6千人のユダヤ人を救った日本人外交官。


 先日杉原千畝についてちょっと取り上げましたが、今回は彼について海外で見聞したエピソードを書いていきます。

 

 まず友達にユダヤ系の人がいるのですが、ある時その人のおばあさんのアメリカにあるコンドミニアムへ遊びに行きました。

 すると近所に住んでいるやはりユダヤ系のおばあさんがやって来て、私が日本人だとわかると、

 

 「杉原千畝の本を持っている。」

 と言いだしました。そして持ってきてくれたのが子供用の杉原千畝の伝記でした。彼女はその本を貸してくださったので、子供の本でもあり一晩で読み終えました。

 

確か彼はクリスチャンで、迫害されているユダヤ人を見て、家族と相談して彼らを救うことを決断したとか、5ヶ国語を話したなど書いてあったのを覚えています。

 レコーダーも無いあの時代に
5ヶ国語もマスターとは、語学の才能は尋常でないものがあったのでしょう。

 

この出来事で杉原千畝は、ユダヤ系の人々の間でも結構知られている存在なのだなとわかりました。私もそれまでは彼の本格的な本は読んだことは無かったのですが、テレビドラマを見て彼の事は知っていました。

 

 それからニューヨークにジューイッシュ・ミュージアムといって、ユダヤ人の歴史や文化を紹介する美術館があります。そこで上映されていた記録映画でも杉原千畝について取り上げていました。

 

ニューヨークはジューイッシュの人々が大勢住んでいるらしいので、美術館もあるようです。

 

The Jewish Museum(ニューヨーク / 英語)

http://www.thejewishmuseum.org/



 オーストラリアのシドニーに行った時もジューイッシュ・ミュージアムを見つけました。やはり杉原千畝の何らかの展示物があったと思います。

 

Sydney Jewish Museum(シドニー / 英語)

http://www.sydneyjewishmuseum.com.au/


 オーストラリアでは、ナチの迫害を逃れたユダヤ人がヨーロッパから大勢移民してきたと聞きましたので、やはりこのような美術館が存在しているようです。

 

 私はなぜかユダヤ系の人と会う機会が多かったのですが、日本はかつてドイツの同盟国だったにもかかわらず、日本人に好意的なジューイッシュも多かったのです。

 

もしかすると、彼らは杉原千畝の事を知っていたのではないかと、今になって思います。

 

 このように彼をはじめとして、偉業を残した日本人の良い評判に助けられて、在留邦人(当時は自分も含めて)も先人から恩恵を受けていたのだなとしみじみ感じた次第です。


 
シドニー・ジューイッシュ・ミュージアムで買ったマグカップ。「SHALOM」(シャローム)はヘブライ語で「こんにちは」です。