過去の出来事を現代の視点で評価すること | 太平洋戦争史と心霊世界

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桜と菜の花 


 先週、「過去の出来事を、現代の視点で評価するのは意味がない」という批判コメントをいただきました。これはブログを書く上でも重要ですので、私の意見を述べさせていただきます。文章長いです。

 

 しかし私は人に自分の考えを押し付ける事は好みませんので、あくまでもこれは自分だけに適用し、他の方はご自由にどうぞというスタンスです。

 

 結論として、過去の出来事を書くときに、当時の価値観や視点に立って書くということは難しい話です。

 

普通学術書の内容は、史料を基にした事実の解明と、著者の批評から成り立っています。その中で、各章に引用文献が載っているようなまともな学術書でも、著者はやはり現代の視点から批評を行っています。

 一例では山本五十六の現在の評価は「政治家としては優秀だったが、軍人としてはイマイチ」という論が多いです。これは彼が崇められていた戦中当時の価値観ではありえないし、出来事が現在進行形の戦時中ではこの結論を出すことは不可能です。

 

それらの書籍では著者の経歴を見ても、「××大学院史学科卒業」と記載されているので、研究者が論文の形式を踏んで上梓したものであることが見て取れます。

 

 それから学生時代は史学科に潜り込んでいましたが、「時代当時の人間の視点から論文を書け」というような論文指導は受けた覚えは無いと思います。実際にそれを行ったら批評にならないと思います。

                花2    

 

 ではあえて当時の人間の価値観で歴史上の出来事を評価するとどうなるか?

 

例1)ヨーロッパ中世の魔女狩り:当時多くの無実の男女が魔女の疑いを掛けられ、残酷な拷問・火あぶりに処せられた。

 

⇒ 中世ヨーロッパ人の視点で魔女狩りを評価すると、「魔女狩りは悪魔を一掃し、社会の秩序を保つ正当な行為である。」

魔女狩り

 

例2)杉原 千畝(すぎはら・ちうね):外交官。第二次大戦中にリトアニアの領事館に勤務していた時、外務省の命令に反して亡命ユダヤ人6千人にビザを発給した。

 

⇒ 第二次大戦時の日本人の視点で彼を評価すると、「国の命令に従わなかった国賊」。

杉原千畝 
 

 つまり、現代人が当時の人間の視点で歴史を評価し、レポート等を書いたとすると、中世の魔女狩りは正当な行為であり、杉原 千畝は「国賊」という結論に達します。

 この評価は現代人には納得しがたいものではないでしょうか。「杉原千畝は国賊」と叫んでも、現代ではただ心無い人と思われるだけです。

      葉っぱ     葉っぱ  花

 では文章に批評を入れずに事実だけ記載すれば、当時の視点で書けるのではないか?私はこれも無理だと思いますが、あえて例を挙げてみます。

 

  例えば現代では戦時中の木炭バスは珍しいので、現代人が「木炭バスとはこういうものだ」と解説や写真をブログに載せれば、読み手もそれを興味深く読むかもしれません。

 

 しかし戦時下の日本人にとって、木炭バスなど当たり前で興味を引くものではありません。

 仮に戦時中にもブログがあったとしても、「木炭バスとは何か」というように、ありふれて誰でも知っていることを、わざわざ書くことはないでしょう。

 

おわかりでしょうか。時代が違うと興味の対象も違ってくるのです。

このようにトピックの取り上げ方一つにしても、現代人と戦時中の日本人では視点がずれてしまうわけです。

 

ということは、記事に事実だけを記載したとしても、取り上げるトピックや、文献のどの文章を引用するか、記事の目的は何かなどの文章構成の基準を、既に現代人の視点で評価し選択していることになります。

 

記事も現代とは違う奇異な出来事などを好んで載せたくなりますよね。そこで書き手が現代と過去の違いを比較しているということ自体、もう現代人の視点で見ているということではないですか。

 

こうして知らず知らずのうちに、当時の人間の視点から見ていると思い込んでも、結局それは現代人の視点だということに気がつかないのだと思います。

葉っぱ 


 歴史学とは現在の位置から、既に終了した過去の出来事を振り返って検証する学問であり、「過去の出来事を、現代の視点で評価する」のが前提となっています。

 仮に太平洋戦争中の人間の視点で太平洋戦争(当時では大東亜戦争)を見るなら、それはもう歴史学ではなく、刻々と状況が変わっていく当時の政治・社会・経済・国際問題ということになります。

 また事件渦中にいる人物が事件を評価しようとしても、現在進行形なので歴史としてどうであったか、という評価を下すのは不可能です。ですから、「過去の出来事を、過去の人間の視点で評価する」という歴史の検証のしかたは有り得ないのです。

 批判コメントを下さった方は、そこのところを何か勘違いされているのではないでしょうか。