終戦後、元上官に「お礼参り」 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


体罰 『男たちの大和』より、体罰を受ける場面

 

 軍隊内でのあまりのいじめのひどさに、終戦後にお返しに「お礼参り」をした元兵士もいました。

 軍隊にいる間理由もなくいじめたり、殴ったりした者達のうちを一軒ずつまわり歩いて、あの時のお礼だと言って、片っぱしから気のすむほど殴り倒しました。

 

それも、西は山口県から北は青森県まで行脚するというすごい執念でした。以下がその会話。


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 「『こっちゃよ、懐かしくて訪ねてきたっていうようなこと言ってな、一人一人外へ誘い出してこてんぱんにのしてやったんだ。どいつもこいつも軍隊じゃでっかいツラこいていやがったけど、娑婆じゃみんなホトケさんみてえにおとなしくおさまってたぜ。

 

 おれたちが鬼ヒゲと言っていた百里空の先任班長の野郎は、信州の岡谷だけんど、二週間前式をあげたところだと言って新婚ホヤホヤだった。

 

こいつは三度のめしを二度にしても、おれたちを殴る方が好きだっていうやつでな、訪ねて行ったのは夕方で、ちょうど女と二人だけだったが、こいつは家ン中でのしてやった。・・(中略)

 

 中でもザマなかったのは岩空の分隊士だ。こりゃ兵学校出の中尉でな、気違いみてえな張り切り野郎で、やつに殴られたあと病院に担ぎ込まれて四日目に死んじまった同年兵もいるし、おれだって前歯二本も折られているんだ。

 

こいつはうまいこと阿武隈川の河原におびき出してぶん殴ってやったけど、野郎ときたら河原に手をついてペコペコ頭を下げて泣き言こきやがるんだ。・・・

 

あのときは立場上しょうがなかったんだ、許してくれ、この通りあやまるから許してくれってな・・・

 

こっちゃわざわざ福島くんだりまで、そんな泣き言を聞きにきたんじゃねえやって言って、同年兵の分まで半殺しになるほどぶん殴って血だらけに踏みつぶしてひき蛙のように河原にのばしてやった。』・・(中略)

 

 彼の予定では、「お礼参り」の相手は7人いたそうだが、そのうち3人は空襲で焼け出されて行ってもそこに家がなかったり、外に働きに出てうちにいなかったりして、つかまえられたのは4人だけだったそうだ。

 

『でもあれだな、これでいくらか恨みは晴らせたんだけんど、気持ちはあんまりさっぱりしねえもんだな。なんだかこう、変にうすら淋しいような気がしちゃってよ、復讐なんていうものはもともとこんなもんかなァ・・・』」

 

 当時、軍隊でのいじめやしごきは日常のひとコマでした。