上の写真は昭和17年時の軍艦内での下士官・兵の朝食風景です。一番手前の人はてんこ盛りのご飯を食べています。
明治~戦前生まれの人からの見聞ですが、当時の食事はご飯(米)を大量に食べて、おかずは添え物的に少々というスタイルでした。
例をあげると、戦前は梅干したった一個で、ご飯を茶碗3杯食べるといった食事の仕方をしていました。
最初の一杯で梅干し半分を食べ、二杯目で梅干し残り半分を食べ、ご飯三杯目は梅干しの種を舐めながら食べます。
以前、宮沢賢治(明治29生-昭和8年没)の伝記を読んで記憶に残っているのですが、ある時賢治の家に近所の子供が遊びに来ました。
子供は賢治が茄子の漬物を2本食べているのを見て、うちでは茄子の漬物を2人で1本食べるのだ、一人で2本はぜいたくだと語ります。
これでは炭水化物ばかりでたんぱく質や他の栄養素が不足するだろうと思いますが、やはり戦前の日本は貧しく、食べ物がなかなか手に入らなかったのでしょう。
ただし各家庭の所得により、台所事情は大分変ってくると思いますが、戦前の方の身長の低さなどに、その栄養事情が反映されています。
また戦前の食事マナーとして気付いたことがあります。
子供のころ、明治生まれの曹祖母の家に泊まりがけで遊びに行ったことがあります。
翌朝、喋りながら朝食を食べていたところ、曹祖母から「ご飯は話しながら食べるものではない。黙って食べなさい。」と注意されました。
現在でも家庭によっては同様の躾をしている家があるかもしれません。
しかし確か戦前は、話しながら食べるのは行儀が悪い行為だったと聞いたことがあります。食事時はみんな一斉に黙って食べると聞いたような気がします。
昭和初期の人々が現代人の食卓を見たら、きっと仰天するに違いありません。普通の食事なのにおかず盛りだくさんという、毎日が正月かお祭りと見まがう、ハレの日のご馳走ばかりですから。