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ヘルマンZのブログ

恋愛理屈屋の不思議君
一応イケメンで通る男だが変人すぎて彼女できません

人がたった一日で大きく成長し、自信を増し加え、自分の人生の流れを大きく変えてしまうということは、たまにある。それは、その人の内面的性格に大きな変化が起きた時にそうなる。国でも人でも同じだ。

 

例えば筋トレや格闘技などを習って体格が変化したり、黒帯をとったりして技の習得を認められること。これは多少自信がついたとしても、その人の人生が劇的に変化するということはあり得ない。それらは表面的な変化でしかなく、その人の内面にまで変化を起こす経験にはなりえないからだ。

では、いじめられっ子で自分をずっと弱い人間だと思い込んでいた人間が体を鍛え、ケンカでも格闘技でもボクシングでもいいが自分より一回り大きい相手に勝利してしまったとする。これは間違いなく内面的に大きな変化がある。自信が増しただけではなく、その人のその後の人生そのものが大きく変化した可能性が高い。なぜならその人の内面的性格にまで変化が起きるからだ。

 

他にも、恋愛で必死に自分を磨き、努力と妥協を繰り返して恋人を作ったとする。これは確かに幸せなことなのだが、その人の人生が大きく変化するという程のことにはならない。あくまで等身大の幸せでしかない。

しかし、だれもが憧れるような素敵な異性が現れ、自分のことを夜も眠れないほど本気で好きになってくれたとする。これは一度だけで大きな変化がある。その後その相手とうまくいかなかったとしても、それほどの相手が自分のことを一度でも本気で愛してくれたという経験から学ぶことは大きい。

 

さらには、いま日本という国が活力を失い、国民も将来に希望を持てないでいるが、これを政府が消費税を下げるなり支給する金額を増やしてくれるなりして国民を救ったとする。しかしこれではこれからもアメリカの属国扱いだったり、隣国にいいように利用され続ける運命に変化は起きないだろう。

しかし国民が結託して政治家に何かを期待することをやめ、国の政治や法律をボイコットし、国民が新しい政府を作り、その新しい政府の決定にだけ従うと一致団結したとする。これは一日で日本という国が根底から変化するだろう。国民全体の国そのものに対する意識が変わるからだ。他国でこんなことしようとしたなら政府と国民との間で血が流れるに違いないが、日本でなら無血で行えると信じる。

 

結局何が言いたいのかといえば、人が本気で自分の人生を変えたいと思ったなら、それを表面的な変化ではなく内面的な変化を求めなければならないということだ。いま、個人でも国という単位でも大きな内面的変化が求められている時期に来ているのだと思う。何となくそう思った。

最近どこに行ってもトイレットペーパーがない。まあなくなっても死ぬわけじゃないから平気なんだけど、無くなると不便なのも確かだ。しかしこういう時に一番の問題として気づかなければいけないことが『不安になっている人が多い』という事実だ。

紙がマスクを作る材料に回されるというデマを信じて必要以上に無駄に買い物をしてしまうのは、不安にあおられている証拠だ。そして不安になっている人間が多いと更なる問題を引き寄せるのも確かだ。

 

例えばだが...実際にいまコロナ問題で経済活動が停滞している。これを機に日本経済が停滞して不景気に陥り、ベネズエラのようなデフォルトが起きるかもしれない。そして瞬く間に物価が上がりまともに食料が手に入らない世の中になっていく。治安も人の心も荒れて、犯罪が横行するかもしれない。そうなったら警察もまともに機能しなくなるかもしれない。そしてみんな疑心暗鬼になって家に閉じこもって隣人を避けるようになる。そして日本という国が瞬く間に衰退して国として消え去っていく...。なんて流れがあるかもしれないってことだ。

 

もちろんこれは最悪のケースを予想してのことだけど、ありえなくもない流れだと思っている。実際に不安になる人が少なければトイレットペーパーが品薄という人災は避けられたわけで。不安になっている人が多いから社会問題や戦争というのは起きるのだ。

 

不安で他人が信じられなくなっている人に、いきなりポジティブになれというのは難しいのかもしれない。しかし少しでも不安を和らげるよう声をかけることはできる。「大丈夫だよ」という一言が未来に起こる社会問題や人災を減らし、日本という国を救う手段になると僕は思う。

昔の知り合いにそっくりな顔の人に出会うことってよくあると思う。あ、このひと昔クラスにいた奴にそっくりだな~、でも性格は全然違うな~とか、この人たしか十年くらい前に出会った人と雰囲気が似てる...性格までそっくり!みたいな人、身の回りを探せば一人や二人はいると思う。

 

最近また引っ越しをして、その時に車まで出して手伝ってくれた人がいた。すごく親切な人なのだが、これが10年前に出会ったことのあるやつとそっくりであることにハッとした。顔も似ているのだが、雰囲気や性格がそっくりだ。そして何より、10年前自分はその知り合いが引っ越しで困っているところを助けたのである。これは偶然じゃない、引き寄せだ!と確信するものがあった。

 

こんなふうにすごくわかりやすい形で自分の善行が返ってきたというのは、なかなか考えさせられるものがある。そして、身の回りで過去の知り合いと似ている人を探してみて、何となく自分が似たような人間関係を繰り返しているということにも何となく気づく。まったく同じというわけではないのだが、どこか似ているのだ。

もしかしたら過去に自分が受けた善行を、どこかにいる自分のそっくりさんが返してくれているのかもしれないし、自分が受けたひどい仕打ちの仕返しを、どこかにいる自分とそっくりなひどい性格の奴がやり返してくれているのかもしれないと考えるとなかなか面白いw

 

聖書の言葉で「主の時は盗人のようにやってくる」という言葉がある。この言葉の意味は、人は必ずいつか自分の行いの報いを受けなければならないのだが、その報いはほとんどの場合本人が忘れたころにやってくるというものだ。つまり見返りを求めずに善行を常に行うなら報いが来るのも早いし、見返りばかりを求めて行う善行は報いも少ないよという意味だ。

 

これは実は悪行にも言えることで、神も仏も引き寄せも信じずに行う悪行は罰せられるのが遅くて、神を信じる善人が時折未熟さゆえに行う過ちは罰せられるのも早いのである。

悪人を見るとさっさと報いを受けてしまえと思いがちだが、本物の悪人ほど罰せられるのが遅いというのが実は世の中の理なんだと。

 

やはり普段の行いは大事なんだな、ということを教えてくれる貴重な経験でしたとさ