今回は自分の父親について赤裸々に書こうと思う。
ただいつも思うことは、自分の親について語るというのは結構勇気のいることだと思う。
なぜなら親の馬鹿について語るということは、そいつに育てられた自分自身をもバカですと公言するようなものだからだ。
しかしこのブログは自分自身の考えを整理するために書いているような部分もあるので、書き留めておくことにする。
まず、私は父親と会話したことがない。正確には、父親がしゃべって私が話を聞く。それだけの関係だった。口答えしたりすると、「だれのおかげで飯が食えると思ってんだ」と一喝されて会話は終了である。そして事あるごとに、学校に行かせてもらっている事、服を買ってもらえたこと、生活できていることは父親のおかげだから感謝しろよと言われた。
ここまでは普通のただの亭主関白だろう。別に珍しいことがあるわけでもない、どこの家庭にもいる普通のおっさんである。ただ一つだけ普通の家のオヤジとちょっと違った部分があるとすれば、それは「宗教家」だったところだ。
かといって大川隆法とかの大物宗教家ではなく、大きな宗教団体の小さな支部の支部長を務めていたのである。
つまり口先ではいつも愛やら正義やら神について語り、その実態は金と権力しか信じていない人間だったというわけだ。
最後の最後に口から出る言葉が、お金や自分自身の権利についてしか出てこないというのはそういうことだ。
金や権力を信じるのが悪いというわけではないと思う。それは割と普通のことで、お金は必要なものだし権力に従うのも常識だからだ。
しかし口では愛やら平等を語っているのに、本当は金や権力しか信じていないというのは結構やばい。どのようにやばいかというと、二重人格になってしまうからだ。
いつも安息日になれば神について熱心に話をし、人々に神を信じるよう語り掛けるが、家に帰ると神を信じる人間をいつもバカにしていたのである。家ではいつも教会の人間について、あいつはダメだとかとかの悪口を散々しゃべっていた。こうなるともうただの詐欺師である。
ただ、そんな父親の実態もある日教会の人たちにばれてしまい、弾劾されてしまうことになるのだが、明らかに自業自得であった。
何のオチもない話だが、自分は父親を通して二重生活を送るということが自分自身や周りの人間にどんなに悪影響があるのかを学んだ。
親を反面教師にして、自分は裏のない人間になろうと努めてきた部分がある。