おはようございます。昨日は友達と旅行に行っててブログが書けなかったです。汗
暑いですね。プール行きたいですね。海行きたいですね。アイス食べたいですね!笑

それはさておき、今日は「慈愛」について話していきたいと思います。

慈愛とは

慈愛をどのように定義すればよいでしょうか。

救い主の生涯はすべての人への純粋な愛を表しています。主は御自分の命をわたしたちに与えることまでしてくださいました。

慈愛とは救い主イエス・キリストが持っておられる純粋な愛です。主は,主がわたしたちを愛しておられるように,わたしたちも互いに愛し合うよう命じておられます。

慈愛は清い心から出てくる,と聖文には記されています。1テモテ1:5参照 
すべての兄弟姉妹に心から誠実に関心と思いやりを示すとき,わたしたちは純粋な愛を持つのです。

慈愛は最も大いなる徳である

「したがって,最も大いなるものである慈愛を固く守りなさい。すべてのものは必ず絶えてしまうからである。しかし,この慈愛はキリストの純粋な愛であって,とこしえに続く。」

救い主の生涯はわたしたちの従うべき模範です。イエスは神の御子です。その完全な愛により,どのように愛すべきかを示されました。

また,模範を通して,同胞の肉体的,霊的な必要がわたしたち自身の必要と同じく大切であることを示されました。イエスは御自分の命をささげる前に,次のように言われました。

「わたしのいましめは,これである。わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」

モロナイは主に次のように語っています。

「わたしはあなたの言われたことを覚えています。あなたは,世のために御自分の命を捨てるほどこの世を愛したと言われました。 あなたが人の子らに対して抱いておられたこの愛が慈愛であることを,わたしは存じています。ですから,人は慈愛を持たなければ,あなたが御父の住まいに用意してくださった場所を受け継ぐことができません。」


わたしたちは救い主がされたように,自分の命をささげる必要はないかもしれません。しかし,主を生活の中心に置いてその模範と教えに従うことにより,「慈愛」を身に付けることができます。救い主のように,地上で兄弟姉妹の生活に恵みをもたらすことができるのです。

慈愛がすべての徳の中で最も大いなるものであるのはなぜですか。

慈愛によって病人や悩んでいる人,貧しい人を助ける


救い主は物語やたとえを通して多くの教えを授けられました。良いサマリヤ人の話は,友人であるとなしとにかかわらず,助けが必要な人に手を差し伸べるように教えています ルカ10:30-37。

たとえの中で,救い主は別の町へ旅する一人の男について話されました。

男は途中で強盗に襲われました。強盗は旅人の着物と金を奪い,傷を負わせ,半殺しにして逃げ去りました。そこへ祭司がやって来ましたが,旅人を見るとそのまま通り過ぎました。次に神殿で働く人がその場所に差しかかりましたが,旅人を見ただけで行ってしまいました。

ところが,ユダヤ人からさげすまれていたサマリヤ人が通りかかり,男を見て気の毒に思いました。そこで男の傍かたわらにひざまずくと,この良いサマリヤ人は傷に包帯を巻いてやり,男をろばに乗せて宿屋に運びました。そして,宿屋の主人に金を手渡し,男が快復するまでの世話を頼みました。

イエスは空腹の人に食物を,家のない人に宿を,貧しい人に衣服を与えるように教えられました。病人や獄にいる人を見舞うことは,言い換えればちょうどイエスにしていることなのです。イエスは,これらのことを行うならば,神の王国を受け継ぐであろうと約束されました。

だれかがほんとうに援助を受けるに値するかどうか決めようとしてはなりません。まず自分の家族の必要を満たし,次に援助を必要とするすべての人を助けるのです。このようにして,わたしたちは,正しい者にも正しくない者にも同じく雨を降らせてくださる天の御父のようになることができます。

私たちも良きサマリヤ人みたいに困っている人がいたら助けてあげれたらいいですね。神様はいつも真実です。自然の原則に成り立っていて、不変です。

「慈愛」本当に大切です。生きていく上で欠かせない神様からもらった賜物ですね!
さて、今日は花火大会に行ってこようと思います笑 ではでは。