昨日はお祭りに行ってたので忙しかったです。。
今日は図書館で本を3冊読みました。すべて自己啓発書です笑
さて、今日も「慈愛」の重要さについて話していきたいと思います。
トーマス・S・モンソン大管長は,物質的な援助以上のものを必要とする人がいることを指摘し,次のように述べました。
「自分自身に次のように問いかけてみましょう。『わたしは,今日何か善いことをしただろうか。』『助けを必要としている人に手を差し伸べただろうか。』そのような問いかけは,幸福を得るための原則であり,だれかに感謝の心をもたらすという満足感と内なる平安を得るための処方箋です。
自らをささげる機会は確かに無限にありますが,すぐに失われてしまうものでもあります。わたしたちには,喜ばせるべき心,伝えるべき思いやりの言葉,与えるべき贈り物,なすべき行い,そして救うべき人々が存在します。」
良いサマリヤ人のたとえの中で,傷ついた男に何もしないで通り過ぎた人たちをどう思いますか。サマリヤ人についてはどう思いますか。生活にこのたとえの教訓を応用するにはどうしたらよいでしょうか。
慈愛は心の表れである
人に罪や過ちがあってもどのようにその人を愛することができるでしょうか。
困っている人に手を差し伸べても,哀れみの情を感じないかぎり,わたしたちは慈愛に欠けています。使徒パウロは,慈愛があれば,すべての人に対して良い思いで満たされると教えました。
慈愛があれば忍耐強く,親切になります。また高ぶらず誇らず,利己心を抱かず,不作法をしません。慈愛があれば,人の犯した悪事を思い起こしたり喜んだりしません。自分の利益になるからというだけで善いことをするのでなく,真理に従って生活する人たちと喜びを分かち合います。
さらに,誠実になり,人の善意を認め,親切にします。聖文は「愛〔慈愛〕はいつまでも絶えることがない」と教えています。
救い主は,人に対してどのような思いを抱き,どのように接したらよいかを身をもって示されました。主は悪を憎まれましたが,罪のある罪人をも愛されました。
子供や老人,貧しい人,助けが必要な人に哀れみをかけ,御自分の手足に釘くぎを打ちつける兵士のために天の御父に赦ゆるしを請うほどの大きな愛を示されました。
イエスは,人を赦さなければ,天の御父もわたしたちを赦してくださらないとお教えになりました。イエスは次のように言われました。
「わたしはあなたがたに言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。」マタイ5:44,46
わたしたちはイエスがされたように人を思いやることを学ばなければなりません。
慈愛の特質をはぐくむ
慈愛をはぐくむにはどうしたらよいでしょうか。
慈愛を身に付ける一つの方法は、イエス・キリストの生涯を学び、その戒めを守ることです。つまり、ある状況でイエスがどのように対処されたかを学び、似た状況にあるときに同じ行動をとるようにするのです。
第2に,慈愛を感じられないときには,さらに慈愛を持てるように祈ることができます。モルモンは次のように勧めています。
「御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛〔慈愛〕で満たされるように、熱意を込めて御父に祈りなさい。」モロナイ7:48
第3に,自分を愛するようになることです。これは,天の御父の子供である自分の真の価値を理解するということです。救い主は,自分を愛するようにほかの人を愛さなければならないと教えられました。
自分を愛するには,自らを尊重し信頼しなければなりません。福音の原則に従順でなければならないということです。すべての悪い行いを悔い改め,悔い改めたときには自分を赦さなければなりません。
救い主から確かに愛されているという深く安らかな確信が感じられるときに,もっと自分自身を愛するようになるのです。
第4に,自分が人よりも優れていると思わないようにすることです。他人の欠点に忍耐強くなれます。ジョセフ・スミスは次のように述べています。
「わたしたちは天の御父に近づけば近づくほど,滅びに向かっている人を思いやりをもって見るようになります。彼らを背負い,彼らの罪を背後に投げ捨てたいと思うようになります。」
モルモン書の中のエノスという青年は,自分の罪が赦されたことを知りたいと願いました。彼は次のように述べています。
「わたしの霊は飢えを感じた。それで,わたしは造り主の前にひざまずき,自分自身のために熱烈な祈りと懇願をもって造り主に叫び求めた。わたしは一日中造り主に叫び求めた。
また夜になっても,声が天に届くように,まだ大きな声を上げていた。すると,わたしに声が聞こえた。『エノスよ,あなたの罪は赦された。あなたは祝福を受けるであろう。』」エノス1:4-5
主はエノスに,彼のキリストを信じる信仰ゆえに罪が赦されたと説明されました。この言葉を聞くと,エノスはもはや自分のことで思い悩むことはありませんでした。
主が愛し,祝福してくださることを知ったのです。代わりにエノスは次第に友人や親族,同胞であるニーファイ人の幸いを願うようになり,彼らのために心のすべてを神に注ぎ出しました。
主はそれにこたえて,すでに与えられた戒めに対する忠実さに応じて同胞は祝福を受けるであろうと言われました。
この言葉にエノスの愛はいっそう強まり,ニーファイ人の敵であるレーマン人のために何度も長い時間熱烈に祈りました。主は願いを聞き届けられ,エノスは残る生涯をニーファイ人とレーマン人の救いのために尽力しました。
エノスは主の愛と赦しに深く感謝し,ほかの人たちも同じ恩恵にあずかれるよう進んで残りの生涯をささげました。エノスはまことに深い慈愛を持つようになりました。わたしたちも深い慈愛を持つことができます。実際,御父の王国に備えられている場所を受け継ぐには,そうしなければならないのです。
本当に慈愛(愛)は大切ですね。全員がイエス様のような慈愛を持てたらどんなに幸せな世の中になるでしょうね。
もうすぐ7月も終わりに近づいてきましたね。個人的に8月の花火大会が楽しみです。ではまた明日。
今日は図書館で本を3冊読みました。すべて自己啓発書です笑
さて、今日も「慈愛」の重要さについて話していきたいと思います。
トーマス・S・モンソン大管長は,物質的な援助以上のものを必要とする人がいることを指摘し,次のように述べました。
「自分自身に次のように問いかけてみましょう。『わたしは,今日何か善いことをしただろうか。』『助けを必要としている人に手を差し伸べただろうか。』そのような問いかけは,幸福を得るための原則であり,だれかに感謝の心をもたらすという満足感と内なる平安を得るための処方箋です。
自らをささげる機会は確かに無限にありますが,すぐに失われてしまうものでもあります。わたしたちには,喜ばせるべき心,伝えるべき思いやりの言葉,与えるべき贈り物,なすべき行い,そして救うべき人々が存在します。」
良いサマリヤ人のたとえの中で,傷ついた男に何もしないで通り過ぎた人たちをどう思いますか。サマリヤ人についてはどう思いますか。生活にこのたとえの教訓を応用するにはどうしたらよいでしょうか。
慈愛は心の表れである
人に罪や過ちがあってもどのようにその人を愛することができるでしょうか。
困っている人に手を差し伸べても,哀れみの情を感じないかぎり,わたしたちは慈愛に欠けています。使徒パウロは,慈愛があれば,すべての人に対して良い思いで満たされると教えました。
慈愛があれば忍耐強く,親切になります。また高ぶらず誇らず,利己心を抱かず,不作法をしません。慈愛があれば,人の犯した悪事を思い起こしたり喜んだりしません。自分の利益になるからというだけで善いことをするのでなく,真理に従って生活する人たちと喜びを分かち合います。
さらに,誠実になり,人の善意を認め,親切にします。聖文は「愛〔慈愛〕はいつまでも絶えることがない」と教えています。
救い主は,人に対してどのような思いを抱き,どのように接したらよいかを身をもって示されました。主は悪を憎まれましたが,罪のある罪人をも愛されました。
子供や老人,貧しい人,助けが必要な人に哀れみをかけ,御自分の手足に釘くぎを打ちつける兵士のために天の御父に赦ゆるしを請うほどの大きな愛を示されました。
イエスは,人を赦さなければ,天の御父もわたしたちを赦してくださらないとお教えになりました。イエスは次のように言われました。
「わたしはあなたがたに言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。」マタイ5:44,46
わたしたちはイエスがされたように人を思いやることを学ばなければなりません。
慈愛の特質をはぐくむ
慈愛をはぐくむにはどうしたらよいでしょうか。
慈愛を身に付ける一つの方法は、イエス・キリストの生涯を学び、その戒めを守ることです。つまり、ある状況でイエスがどのように対処されたかを学び、似た状況にあるときに同じ行動をとるようにするのです。
第2に,慈愛を感じられないときには,さらに慈愛を持てるように祈ることができます。モルモンは次のように勧めています。
「御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛〔慈愛〕で満たされるように、熱意を込めて御父に祈りなさい。」モロナイ7:48
第3に,自分を愛するようになることです。これは,天の御父の子供である自分の真の価値を理解するということです。救い主は,自分を愛するようにほかの人を愛さなければならないと教えられました。
自分を愛するには,自らを尊重し信頼しなければなりません。福音の原則に従順でなければならないということです。すべての悪い行いを悔い改め,悔い改めたときには自分を赦さなければなりません。
救い主から確かに愛されているという深く安らかな確信が感じられるときに,もっと自分自身を愛するようになるのです。
第4に,自分が人よりも優れていると思わないようにすることです。他人の欠点に忍耐強くなれます。ジョセフ・スミスは次のように述べています。
「わたしたちは天の御父に近づけば近づくほど,滅びに向かっている人を思いやりをもって見るようになります。彼らを背負い,彼らの罪を背後に投げ捨てたいと思うようになります。」
モルモン書の中のエノスという青年は,自分の罪が赦されたことを知りたいと願いました。彼は次のように述べています。
「わたしの霊は飢えを感じた。それで,わたしは造り主の前にひざまずき,自分自身のために熱烈な祈りと懇願をもって造り主に叫び求めた。わたしは一日中造り主に叫び求めた。
また夜になっても,声が天に届くように,まだ大きな声を上げていた。すると,わたしに声が聞こえた。『エノスよ,あなたの罪は赦された。あなたは祝福を受けるであろう。』」エノス1:4-5
主はエノスに,彼のキリストを信じる信仰ゆえに罪が赦されたと説明されました。この言葉を聞くと,エノスはもはや自分のことで思い悩むことはありませんでした。
主が愛し,祝福してくださることを知ったのです。代わりにエノスは次第に友人や親族,同胞であるニーファイ人の幸いを願うようになり,彼らのために心のすべてを神に注ぎ出しました。
主はそれにこたえて,すでに与えられた戒めに対する忠実さに応じて同胞は祝福を受けるであろうと言われました。
この言葉にエノスの愛はいっそう強まり,ニーファイ人の敵であるレーマン人のために何度も長い時間熱烈に祈りました。主は願いを聞き届けられ,エノスは残る生涯をニーファイ人とレーマン人の救いのために尽力しました。
エノスは主の愛と赦しに深く感謝し,ほかの人たちも同じ恩恵にあずかれるよう進んで残りの生涯をささげました。エノスはまことに深い慈愛を持つようになりました。わたしたちも深い慈愛を持つことができます。実際,御父の王国に備えられている場所を受け継ぐには,そうしなければならないのです。
本当に慈愛(愛)は大切ですね。全員がイエス様のような慈愛を持てたらどんなに幸せな世の中になるでしょうね。
もうすぐ7月も終わりに近づいてきましたね。個人的に8月の花火大会が楽しみです。ではまた明日。