これから図書館に行ってこようと思います!図書館は涼しくて静かでいいですね。
毎日3冊を目標にしています(^^)
今日は「従順」について話そうと思います。
喜んで神に従う
不承不承でなく喜んで従うとき,どのような違いが生じるでしょうか。
イエスがこの世におられたとき,律法学者が次のような質問をしました。
「『先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。』
イエスは言われた,『「心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。」
これがいちばん大切な,第一のいましめである。
第二もこれと同様である,「自分を愛するようにあなたの隣となり人びとを愛せよ。」
これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。』」マタイ22:36-40
この聖句から,主と隣人を愛することがいかに大切であるかが分かります。しかし,どのように主への愛を表せばよいでしょうか。
イエスは次のように言ってこの質問に答えておられます。「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は,わたしを愛する者である。わたしを愛する者は,わたしの父に愛されるであろう。」(ヨハネ14:21)
わたしたちは各自で,なぜ神の戒めに従うのか自問してみる必要があります。罰を恐れるからでしょうか。正しい生活をすることによって報いを得たいからでしょうか。それとも,神とイエス・キリストを愛し,御二方に仕えたいと望んでいるからでしょうか。
戒めにまったく従わないよりは,罰を恐れて従う方がよいものです。しかし,神を愛し神に従いたいと望むがゆえに神に従う方がはるかに幸福でしょう。
進んで神に従うときに,神は惜しみなく祝福を与えてくださいます。主は次のように言われました。
「主なるわたしは……最後まで義をもって真理にかなってわたしに仕える者に誉れを与えるのを喜びとする。」(教義と聖約76:5)
従順であれば,わたしたちが進歩し,さらに天の御父のようになるのに助けとなります。しかし命じられるまで何もせず,不承不承戒めを守る人は報いを失います。
従いたいという願いはどのように増し加えることができるでしょうか。
理由が分からなくても従うことができる
従順であるために必ずしも主の目的を理解する必要があるわけではないのはなぜでしょうか。
神の戒めを守ることによって,永遠の命と昇栄を得る備えができます。時には,ある特定の戒めが与えられた理由が分からないことがあります。しかし,理由を知らなくても神に従うことによって,神に対する信仰と信頼を表すのです。
アダムとエバは神に犠牲をささげるように命じられました。ある日,天使がアダムに現れて,なぜ犠牲をささげるのかと尋ねました。アダムは,その理由は分からないと答えました。アダムはただ主から命じられたので行っていたのです。
そこで天使は,アダムに福音を教え,後に降誕される救い主のことを話しました。そのときアダムに聖霊が降られ,アダムは地に住む者について,最後の世代に至るまで預言しました。アダムにこの知識と偉大な祝福が与えられたのは,アダムが従順だったからです。
神は道を備えてくださる
モルモン書には,ニーファイと兄たちが主から非常に困難な責任を与えられたことが記されています。ニーファイの兄たちは,主の求めておられることは難しいと不平を言いましたが,ニーファイは次のように述べました。
「わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」(1ニーファイ3:7)
主の戒めに従うことが困難に思えたら,ニーファイのこの言葉を思い出すとよいでしょう。
神様に従順であることはとても大事だと教えていますね。私たちも常にいろいろな悪から遠ざけられるように日頃から神様の戒めを守りたいですね!
毎日3冊を目標にしています(^^)
今日は「従順」について話そうと思います。
喜んで神に従う
不承不承でなく喜んで従うとき,どのような違いが生じるでしょうか。
イエスがこの世におられたとき,律法学者が次のような質問をしました。
「『先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。』
イエスは言われた,『「心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。」
これがいちばん大切な,第一のいましめである。
第二もこれと同様である,「自分を愛するようにあなたの隣となり人びとを愛せよ。」
これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。』」マタイ22:36-40
この聖句から,主と隣人を愛することがいかに大切であるかが分かります。しかし,どのように主への愛を表せばよいでしょうか。
イエスは次のように言ってこの質問に答えておられます。「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は,わたしを愛する者である。わたしを愛する者は,わたしの父に愛されるであろう。」(ヨハネ14:21)
わたしたちは各自で,なぜ神の戒めに従うのか自問してみる必要があります。罰を恐れるからでしょうか。正しい生活をすることによって報いを得たいからでしょうか。それとも,神とイエス・キリストを愛し,御二方に仕えたいと望んでいるからでしょうか。
戒めにまったく従わないよりは,罰を恐れて従う方がよいものです。しかし,神を愛し神に従いたいと望むがゆえに神に従う方がはるかに幸福でしょう。
進んで神に従うときに,神は惜しみなく祝福を与えてくださいます。主は次のように言われました。
「主なるわたしは……最後まで義をもって真理にかなってわたしに仕える者に誉れを与えるのを喜びとする。」(教義と聖約76:5)
従順であれば,わたしたちが進歩し,さらに天の御父のようになるのに助けとなります。しかし命じられるまで何もせず,不承不承戒めを守る人は報いを失います。
従いたいという願いはどのように増し加えることができるでしょうか。
理由が分からなくても従うことができる
従順であるために必ずしも主の目的を理解する必要があるわけではないのはなぜでしょうか。
神の戒めを守ることによって,永遠の命と昇栄を得る備えができます。時には,ある特定の戒めが与えられた理由が分からないことがあります。しかし,理由を知らなくても神に従うことによって,神に対する信仰と信頼を表すのです。
アダムとエバは神に犠牲をささげるように命じられました。ある日,天使がアダムに現れて,なぜ犠牲をささげるのかと尋ねました。アダムは,その理由は分からないと答えました。アダムはただ主から命じられたので行っていたのです。
そこで天使は,アダムに福音を教え,後に降誕される救い主のことを話しました。そのときアダムに聖霊が降られ,アダムは地に住む者について,最後の世代に至るまで預言しました。アダムにこの知識と偉大な祝福が与えられたのは,アダムが従順だったからです。
神は道を備えてくださる
モルモン書には,ニーファイと兄たちが主から非常に困難な責任を与えられたことが記されています。ニーファイの兄たちは,主の求めておられることは難しいと不平を言いましたが,ニーファイは次のように述べました。
「わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」(1ニーファイ3:7)
主の戒めに従うことが困難に思えたら,ニーファイのこの言葉を思い出すとよいでしょう。
神様に従順であることはとても大事だと教えていますね。私たちも常にいろいろな悪から遠ざけられるように日頃から神様の戒めを守りたいですね!