自立の道を開く。過食症克服日記 -9ページ目

自立の道を開く。過食症克服日記

自己内観、自己対話し、依存症から立ち直り、真の自立を目指します。

今の職場が、今日と明日で終わりということで、チーズケーキタルトを作って職場の皆さんに差し上げました照れ

皆さん大喜びで、作った甲斐がありました。


そして、自分も食べました。


なんて、

なんて、

なんて、

美味しいのでしょうラブ

はぁー、やばい。

仕事帰りに、めっちゃ過食したくなった。

やはり、自分が食べるんじゃなかった。

今はなんとか自分をコントロールして帰宅中。

自分をコントロールできる時と出来ない時の違いがある。

コントロール出来る時は、呼吸が深い。

もし過食すると、誰かが悲しむということがわかる。

コントロールできない時は、呼吸が浅い。

もし過食すると、自分なんてと自己卑下、自己否定に浸れる。要は自己満足だ。

過食症は自己満足だ。

過食症をなぜするのか?

それは、自分の中の、傷ついた自分の、傷を回復させないためだ。

過食症だから、誰かに助けてもらわなければならない。

誰かに依存しなければならない。

自分の場合は、母親が強い影響力を持っている。

今は住む場所も離れているが、それでもまだ影響がある。

自分の中で消化しきれていない。

これを消化するには、まだ時間がかかる。

だけど、必ず、自立する。

僕にはそれが出来るから。

今日はここまで。

今日も日常が始まりもう少しで終わろうとしている。


帰りに焼き芋かナッツバーが食べたくなった。


今日はランチの弁当と、ナッツ以外まだ食べていない。


焼き芋があったが、それをすぐに買わず、ナッツバーを探していたが見つからなかった。


なので焼き芋を買おうと思ったら、売り切れてしまった…ショボーン


余計なお金を使わなくて済んだと思おう。


話が変わるが、僕は読書が好きだ。


新しい知識を得ることが楽しい。

重厚なストーリーの中に入り込むことも楽しい。

どうでもいいようなお笑いも、漫画で涙を流すことも、どれも僕の考え方や価値観に影響を与えてきた。


ビジネス書、実用書、成功哲学、自己啓発、心理学、小説、様々な本を読んできた。

 

そこにはこうすればうまくいく、こうするとうまくいかないなどの「ノウハウ本」

 

心理学、脳科学、実験データや数字を活用した「ロジカル本」

 

夢、情熱、やる気が上がる、美しい風景の写真や魅せ方で訴えかける「ドリーム本」

 

焦らなくたっていい、失敗したっていい。逃げたっていい。自分を許すための「自己承認本。」

ハイヤーセルフ、ご先祖様、神社参り、龍神、サムシンググレートなどの「スピリチュアル本」

 

その他小説、宗教、漫画、絵本、ノンフィクション、学術書等、ジャンル分けするのも大変なくらい、たくさんの本、考え方があり、枚挙にいとまがない。

 

それでは、何のために、こんなに本が出るのか?

 

それは、

それを求める人がいる

からだ。

 

今よりも良くなりたい。

成功したい。

モテたい。

運が良くなりたい。

美人になりたい。

健康になりたい。

ストレスを発散したい。

癒されたい。

 etc…

100人100色の欲が、それらの本を生み出す。

 

いったい、これが過食症と何の関係があるんだろう?

 

自分でも書きながらまとめているので、まだ分からない笑

 

これを、食べ物で置き換えたらどうだろう?

 

もっと美味しいものが食べたい。

もっと甘いものを。

もっと噛み応えのあるものを。

もっと塩っ気のあるものを。

もっと食べやすいものを。

もっと、もっと、もっと。

と求める人のために、新しい商品、新しいお菓子、新しい食べ物が生まれる。

 

つまり、過食症は、欲の一つの形なんだ。

 

これを治療を受けた団体のところでは

マグマ

 

と呼んでいた。

 

自分が本当はもっとこうしたかったのに、その時はどうしようも処理できず、行き場のないエネルギーに、心の中での蓋をし、閉ざした。

 

それが、大人になるにつれ、溜めていたものがある時爆発し、出てきたのが過食症状。

 

そう言われると、そんな気がした。

 

だからマグマは出してあげた方がいい。

 

感情は出し切った方がいい。

 

なるほど、と思った。

 

だから過食症になっても、自分を許して、愛してあげましょう。


自己否定が1番良くないことだから。


なるほど、と思った。


けれど、結局、治療を受けている間には治らなかった。


なぜ治らなかったのか…なぜ再発したのか…それは…


僕が過食することを求めていたからだ。


過食は表面に現れる現象だが、内面の本質は違う形、エネルギーをしている。


それは、怒り💢だ。


僕は自分で言うのもなんだが、はたから見て良い人だと思う。


僕も僕みたいな人がいたら、きっと良い人の世界になると思う。


表面上だけならね…


本質は違う。


怒り狂ってる。


この世界に。


怒りの更に奥には…もっと深い何かがある。


これは、これから見つめていこう。


今日はここまでニコ


今日からいつもの仕事だ。

 
朝7時30分に起き、
8時28分の電車に乗る。
9時過ぎに着き、9時30分始業。
12時に1時間お昼休みがあり、
18時30分に終業。
残業しても30分程度。
 
楽な仕事だ。
 
もちろん、それなりに頭も使うし、忙しくてヘトヘトになる時もある。
 
だが、楽な仕事だ。
 
何が楽なのか?
 
それが、「習慣」になっているからだ。
 
人間は習慣の生き物だとも言われている。
 
「7つの習慣」著者:スティーブン・R・コビー
 
これも読んだ。
 
習慣化の大切さ、良く分かります。
 
原理原則に則った生き方、本当にそうなったら素晴らしい。
 
ではなぜ、僕は「過食症」という習慣(病気とは違う)を身につけてしまったのか?
 
なぜ、人生をよりよく生きたいと望みながら、こんな非効率で非生産的な行動をしてしまうのか?
 
意志が弱いから?
 
甘え?
 
怠惰?
 
なぜ人は、やりたくないと思いながらも、それをすることができるのか?
 
なぜ、働きたくない仕事に行けてしまうのか?
 
なぜ、食べたくないと思いながら食べてしまうのか?
 
それは習慣の成せる技だ。
 
それは僕らが自我が芽生えるかどうかの小さい頃から教育が始まる。
 
有名な動物園の像の話。
 
動物園の像はなぜ、大人になっても鎖をするだけで逃げ出さなくなるのか?
 
それは、子像の時から鎖に繋ぎ、子像の力では引きちぎれない。
 
そうして、どうやっても逃げられないと、子像は悟る。
 
そうして大人になった像は、同じような鎖に繋がれても、逃げ出そうとしなくなる。
 
僕らは生まれてから、幼稚園、小学校、中学校、人によっては高校、大学まで行き、それを徹底的に、教育させられる。
 
何をって?
 
「社会の価値観に合わせると幸せになれる」だ。
 
本当の自分の声を信じるのを辞め、社会の声に耳を傾ける。
 
そうして、社会の価値観に合わせて生きることが幸せなこと。
 
安定していること。
 
成功しているということ。
 
だけど、人それぞれ顔も違えば性格も好みも違うし価値観も違う。自分の価値観と、社会の価値観の間に摩擦が起きる。
 
それを、僕はなんとか誤魔化す。
 
「良い大学に行きなさい。」
 
「大企業に勤めることが安定だ。」
 
「公務員になることが安定だ。」
 
「男は男らしく有れ。」
 
「人様の迷惑をかけてはならない。」
 
一体全体誰がそんなこと決めたんだ!?
 
俺は俺だ!
 
何したっていいじゃないか!
 
...なんて事は言う訳も無く、世間に害のない、良い人になろうと努力する。
 
それが良い事だと思った
 
最も身近な社会、僕の両親、特に母親が喜ぶ価値観になんとか合わせようとする。
 
するとだんだんと自分が壊れていった。
 
それを救ってくれたのが、過食症だった。
 
今日はここまで。
 
そうか、思い出した。
 
過食症は救いだったんだな...
 
それt、習慣と依存は非常に密接にリンクしていると思う。
 
to be continued