自立の道を開く。過食症克服日記 -10ページ目

自立の道を開く。過食症克服日記

自己内観、自己対話し、依存症から立ち直り、真の自立を目指します。

こんにちはニコ

今日は良い天気ですね。

これから嫁と記念写真撮影です。

結婚式はちょっと…でも結婚したことは伝えて起きたい…ってことで、記念写真は取ろうということで、これから撮影です

楽しんできます照れ

今日は朝食、ランチ、共に外食したので、夜は控えめにしよう。

夜は家でお味噌汁が飲みたいラブ

さて、また今読んでいる「依存症ビジネス」の中から気になるところをピックアップし、自分なりに落とし込む。

ぼくは前回の記事で、ネットに助けを求めたと書いたように、「過食症 治療」で検索をかけ色々情報を集め始めた。

そんな時に目にとまったのが、ある摂食障害の無料相談だった。

確か23歳くらいの時だった。

そこでは電話やネットの掲示板を駆使して、電話対応者も過食症治療経験者の方たちのスタッフ。

同じ経験者なら、きっと気持ちも分かり、治るきっかけになると思い、無料相談を受けた。

無料相談を何回か受け、その時に習ったことは、「もし過食をしてしまっても、自分を責めない。病気だから仕方がない。」と、受け入れること。

そして、溜め込んだ感情を吐き出すこと。

紙に書き出すことなどだ。

確かに相談を聞いてもらい、気が楽になった。

だが無料相談なので、やはりそれは長くは続かない。

次回からは有料相談で、2ヶ月か3ヶ月だったと思うが、8万円払うことで、続けて治療が受けられるとのこと。

僕は当時の給料からはかなり高額なこの値段をし払うことにした。

これで治療できるなら安いものだと思ったからだ。

だか結論から言うと、これでは治らなかった。

今思うと分かるが、最も重要なことが抜けていたのだ。

その重要なこととは…to be continued…



っとすると、続きが気になって次回も見る人が増えるかもしれない笑

だが、このブログの目的は、あくまで「自分が過食症(依存症)を克服し、真の自立を手に入れること」だ。

なので、このまま続けるとしよう。

最も大事なこと、それは、

自分は過食症を治す!

という決断だ。

いや、この言い方だと少し弱い。

自分は本当は過食症ではない。

ただ、過食症のような状態にならざるをおえなかった。

本当の自分は、完全で完璧な存在だ。

それが過食をしたとしても、自分の中の光は依然として完璧で完全なのだ。

それを理解するために起きた「ただの出来事」が過食症なのだ。

うん、そんな感じがする。

なぜ8万円も払って、もっというもさと今まで通算で100万円以上はかけても治らなかったかというと、
誰かに治してもらおう

と思っていたからだ。

これに気付くまでに、今まで時間がかかった。

12年はかかった笑

高い勉強代だった。

だが、今も続いている。

そして、自分が治る。自分が自分を治療する(セルフヘルプ)のために、このブログを立ち上げた。

だから、今日、決断しよう。

①このブログは、自分が過食症を克服したと感じるまで書く。(とりあえず、ゴールは2020年8/31にする)

②毎日書く(例外あり。1行でも書く。)

③自分と自分以外の同じ症状(もしくは依存症)で苦しむ人のお役に立つことを考えて書く。

以上!

この3つを守って、今後も書いていこう。

今日はここまで。

to be continuedウインク





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今日は横浜最終日。
ホテルに泊まったので、朝食を食べる。
朝食)ご飯、味噌汁、その他色々。
昼食)ざるうどん大盛り
夜食)これから

今日は帰りに気をつけろ!

非日常の2日間の仕事を終わった時は、自分にご褒美(トリート)をあげたくなる。

「よくがんばったね。」

疲れた後の甘〜い食べ物は体に染みる。

この「自分にご褒美」って、いつから流行りだしたんだろう?


「自分にご褒美をあげる」

なんとも甘美な言葉じゃないですか?

大好きなお菓子をガバガバ食べても許してね自分♫

それ、誰が言ったんだ?

僕もいつからこの言葉が流行りだしたかは定かではないが、僕が小さい頃にはほとんど聞いたことがなかった。

このキャッチコピーを生み出した人はすごいよね。

余計なものを買っても許す!

必要ないものを食べても許す!

自分が後々なんでこんなことまたしたんやろ…って後悔することも含めて許す!

そう、許しは最大のアクションだ。

けど、この「自分のご褒美」は、本当に自分のご褒美になっていたのだろうか?

本当の自分へのご褒美とは、過食しなくても良い心と体の状態、クリアな自分へと導いてあげることなんじゃないか?

それが、外側のノイズで乱されて、自分へのご褒美は、やっぱりカントリー○アムとプリンとシュークリームとメロンパンだよね。おっと、甘いものばかりだとバランスが悪いから、ポテチとコロッケパンも必要だよね♫

と、僕の脳がノイズで勘違いした、体が求めるバランスの良い食事(塩辛いか?甘いか?)とは、上記のようなものになってしまう。そして、それはご褒美だから許されるのだ。

そして、それが終わった後に、いつもこう思う。「もう二度としない。もうこれで終わりにしよう。終わりにしよう。終わりにしよう。終わりにしよう。終わりにしよう。終わりにしよう。…」

そして、朝起きたら、一体あの時の後悔はなんだったのかと首を傾げ、また同じことを繰り返す。

はぁ、しんど。

今日はここまでにしよう。

少しずつ、少しずつ、自分と向き合い始めた気がする。




今日は横浜に来ていますニコ

お昼にお弁当を食べ、夜は鎌倉ボウルでどんぶりセット+おにぎりを一つ。

今日は健康な一日でした照れ

さて、昨日話したそれ(僕の場合は、過食したくなる食べ物)が、
手に入りやすいという当たり前の事実ガーン
これをもう一度よく考えてみた。

中学生の頃は、お金もお小遣いしかなく、過食するほど買うことは無理だった。(経済的)
ただそれ以外の条件(物理的、心理的、社会的)は整っていた。

そして、大人になり、自分でお金を稼げるようになった時、その条件は整った。

僕は高校の時から過食の兆候があったが、本格化したのは20歳の時だ。

その時は自分でアルバイトをしてお金を稼いで、稼いだお金の20%くらいは過食費に消えていた。

つまり、経済的に手に入れやすくなった時に、歯止めが効かなくなった。

今でも思い出すのは、和室の1人部屋で、コンビニで買って来た山のような菓子やパンを食べながら、誰か助けて…と懇願したことだ。今思い出してもあの時の孤独感、淋しさ、惨めさ、それらを思い出すと泣きたくなる。

そうして、23歳くらいから、僕は短期間働いて、短期間引きこもると言う生活を3年くらい過ごした。

その時に、僕は誰かに助けを求めて、ネットの世界にその救いを求めた。

家族には全く理解されなかったから…

今日はこの辺で。

それでは良い夢を。

夢が現実なのか…現実が夢なのか…ニコ