「チョン・テイル記念館」と、声プロジェクト音楽劇〈テイル〉 | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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自分の予習復習用につき、かなりの偏りあり
(注意: 目標はネタバレ100%)
メモ付き写真アルバムとしても使用中

本日、清渓川沿いの鐘路3街エリアにある「「チョン・テイル記念館」に行ってきた。(ソウルに来ています。)


[네이버 지도]

전태일기념관

서울 종로구 청계천로 105 아름다운청년 전태일기념관

https://naver.me/F2nhCCNy



1948年に大邱で生まれたチョン・テイルは1970年に、まさしく火花を散らすように短い生涯を閉じることになる。


極貧の生い立ち、平和市場のミシン師として就職してから劣悪な労働環境に抗議して焼身自殺へ至るまでの経緯、その後の母親の活動、労働運動の発展…


パパゴで訳しながら展示を丁寧に見ていたら涙が止まらなくなり困った。



1階を上下2層に分けた作業室。身長155cmの私も姿勢良くは立てない。ホコリの中で少年少女の長時間労働。賃金はすずめの涙。いつも空腹で健康な者はいなかったという。


テイルは就職してから飢える彼らにバス代でパン(プンオパン?)を奢ったりして、2時間も徒歩で帰宅。(工場近くは家賃が高いので借りられない)


途中で外出禁止時間になるので逮捕され派出所で眠ることもしばしば。しまいには事情を知った巡査も逮捕しなくなったと。


テイルが市役所や労働庁、大統領にまで事実を訴えても劣悪な労働環境は改善されず、抗議の死を選択する。息子から運動の継続を託されたお母さんもすごい人。デモに参加した時に取締り側から暴行を受けかなりの障害を負ったとも書かれていた。




「服も、世の中も、建物も、自動車もこの世の全てを労働者が作りました。労働者が世界の主人じゃないですか。でも私たちは一つにならずに卑下され、軽蔑されていつも奪われて生きているじゃないですか。これからは一つになって戦ってください。一つになってください。一つになればできないことが何もありません。テイルの母の切実なお願いです。皆さんが必ず叶えてください。」母イ・ソソンの演説より。


当時の大学生がすぐに運動を継続させたのが救いではあるが、それも抗議の焼身自殺というショッキングな出来事があったから。


要求事項と言ったら当たり前の事だけ。他に方法はなかったのかと思うと、本当にいたたまれない。



そんな中でも政府は協力的とはほど遠く、そのうち光州事件が起きたりして…。


韓国近代史、問題山積みで大変すぎる。ぐすん


2020年に母子ともに勲章を貰ったようだ…

テイルの死から50年。

生きてる時になんとかしてあげて‼️

忘れ去られるよりはマシだけど…。


60年から70年代と言えば日本は好景気を謳歌していて、やっすい輸入の服がたくさん出回り始めた。どこかの国で誰かが搾取された結果だったんだろうか。


搾取は他にも、いつでもどこでも、今でもあるんだろう。悲しい。


企画展のテーマ「同状異代」

同じ姿、異なる時代:

私は非正規労働者だ




以下は制作会社からの情報のパパゴ訳。


米国の紡績工場の労働紛争がメーデーの始まりだそう。日本にも「女工哀史」なんてのがあり、人間の欲や不正は国境を越えて世界共通なんだと悲しいことを考えてしまう。

(新聞記事で読み取れる部分)

小部屋で一日16時間労働

少女ら 2万名余り酷使

ほぼ全員職業病。 労働庁、一足遅れて告発へ

労働条件0点···平和市場被服工場


X 「勤労基準法化形式」

O 「勤労基準法火刑式


 

 



「日帝がメーデーを妨害した」のは事実だとしても、テイルが味わった貧困や不正、その後の労働運動の弾圧は全て日本が手を引いた後の事で、「日帝」と「朝鮮もしくは大韓民国の支配者層」の果たしてどちらが国民をより多く痛めつけたんだろうと思ってしまう。でも小さい字で書いておく。