[公演散歩]〈サウンドインサイド〉深い深淵に埋もれた内なる声を聞け | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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近頃はメモ付き写真アルバムとしても使用中。

 
「沈む二つの内面が作り出した寂しいアカペラ」
 
あなたが一番恐れているのは何か?何でもいいから一つ思い出してみよう。血と肉が飛び散る殺人、すぐにでも墜落しそうな高い崖、愛する人たちとの別れ...人生は一寸先も分からない恐ろしい恐怖でいっぱいだ。そしてここに、見たところ怖いものの無さそうな、乾燥して淡々とした日常を送る一人の女性がいる。人生にどんなことが訪れてもまばたき一つしなさそうなこの女は「ペンを止めないで自分が考える最もひどいことを書き留めろ」という指示に、一つの文章だけを繰り返し書く。『内なる声を聞け』
 
イェール大学文芸創作科の教授であり、17年前に小説を一本発売した小説家。自慢できる財産とは一生懸命集めた本がすべての女性、ベラ。ある日一人の学生が彼女を訪ねてくる。EメールとSNSを嫌悪し、偉大な文学者たちの生と彼らの小説を熟知している男、クリストファー。ベラとクリストファーは文学に対する見解から始まり、私的な話に至るまで深い会話を交わしながら親しくなる。クリストファーはベラに自分が書く小説について話し、ベラは彼の唯一の読者になって話を聞く。そんなある日、ベラがクリストファーに驚くべき頼み事をすることで、この二人の物語は予想外の方向に流れていく。果たしてベラとクリストファーはどんな結末に向かって歩くことになるのだろうか?
 
演劇〈サウンドインサイド〉は2020年ブロードウェイで初披露された作品で、公演当時評論団と観客の熱い歓呼を引き出した秀作である。2020トニーアワードでは作品賞をはじめとする6つの部門にノミネートされ、女優主演賞部門で堂々とトロフィーを獲得する成果を成し遂げたりもした。国内では2024年初開幕のニュースを伝え、数多くの演劇マニアたちの期待を呼び起こした。特にムン・ソリ、ソ・ジェヒ、カン・スンホ、イ・ヒョンウ、イ・ソクジュンなどの派手なキャスティングを公開し、さらに話題になった。素晴らしい作品性に加え、名前を聞くだけでも立派な俳優たちまで備えた〈サウンドインサイド〉が初幕を上げるという知らせに、自然に劇場に向かう足を止めることはできなかった。
 
 
演劇〈サウンドインサイド〉は、二人の人物が文学に関する絶え間ない対話を通じて関係を築いていく、人物中心的物語構造を持つ作品である。二人の人物が生きてきた人生と彼らが置かれている状況、経験している感情、世界を眺める視線など、彼らを成すすべての要素はそれ自体で劇の物語になる。ベラとクリストファーは簡単に観察できる外見から始まり、深い内面に埋もれた生の感情までのすべてを観客に徐々に明らかにする。そしてそれは即ち、この二人がお互いに自分をさらけ出すという意味でもある。親しくなる二人、よく知っていると思ったが、もしかしたらそうではなかったかもしれない混乱した関係の中で、物語は興味深く展開していく。
 
ベラとクリストファーの話は、簡単には意味が分からない比喩的で抽象的な表現でいっぱいだ。同時に、無駄に書かれたセリフが一つもない。どうやってこんなに緻密な台本を書くことができたのかと思うほど、すべての単語と文章が人物を成す、つまり物語を成す重要な要素として作用する。例えば、ある人物がただ素通りするかのように流した言葉が、その後他の人物の口を通して同じように言及されたりする形で、セリフ一つ一つが連結と連結を繰り返してクモの巣のように絡まっているという感じだ。そのつながりの密度が非常に緻密で、一気に物語を理解することはできないが、つながりをゆっくりと解きながら叙事の糸口を探す楽しみがある。
 
「文学」はベラとクリストファーの関係において最も重要な要素だ。彼らが交わす会話の始まりから終わりまですべての部分を支配するのは文章と小説、文学そのものである。彼らが文芸創作科の教授と学生なので、もしかしたらそれが当然のことだと感じられるかもしれないが、彼らの会話は文学を教え学ぶことを超えて、文学にハマり、探求し、熱烈に愛する深い内面の透視につながる。どこか空っぽのベラとクリストファーの孤独な日常を埋めるのは「文学」だった。そして彼らはお互いを発見した後から「文学」と「文学について一緒に話せる相手」で自分の日常を満たしていく。

 

 

誰かを完全に知っているというのはどういう事だろうか?ある人の名前と年齢、性別、住んでいる場所、職業、普段の日常を知っているなら、私たちは普通その人を「知っている」と言う。しかし、その人を「完全に知っている」というのは、非常に異なる次元の話だ。どこまで知れば一人の人間を完全に知っていると言えるか定義はないが、少なくともある人の人生とその人が持っている考えを理解して受け入れることができる程度になれば、その人を完全に知ることに近いと言えるだろう。つまり、一人の人間の内面から聞こえてくる声を完全に包容できなければならない。
 
ベラはクリストファーを知っていると思った。彼ももしかしたらベラをよく知っていると思ったはずだ。しかし果たしてその考え通り、彼らはお互いを知っていたのだろうか?お互いの内面をむき出しにした瞬間、彼らはお互いがまるで初めて会う人であるかのようにぎこちなく感じたかもしれない。人間が一人の人間を完全に知っているというのは不可能に近いことだ。ベラとクリストファーは自分が知っていたのとは違う相手の姿と向き合う。そしてその瞬間からお互い違う選択をする。生と死を盛り込んだ人生の物語を書き続けるのか、止めるのか。
 
ベラとクリストファーを演じた二人の俳優、ムン・ソリとカン・スンホはアピール力の濃い表現と自然な呼吸で劇をリードする。作品に込められた深遠な主題性を損なわずに、劇の重量感が過度に重く感じられないよう、適切なバランスを合わせたような演技が印象的だった。ムン・ソリ俳優はとてつもない台詞量を完璧な伝達力で消化しながらベテランの底力を見せ、節制された感情表現で観客たちをベラの話に没頭させる。カン・スンホ俳優は更に成熟した演技力と余裕のあるジェスチャーでクリストファーという人物を非常に立体的に描き出した。ムン・ソリ、カン・スンホ二人の俳優は安定した呼吸と構成力のある演技を披露し、これから続く舞台に更なる期待を持たせた。

 

 
舞台デザイン、音楽、装置などの要素もかなり高い完成度を誇る。作品の展開に似合う落ち着いた雰囲気の舞台は無駄なくきれいで、音楽及び効果音の活用も適切だ。特に舞台演出の面で感嘆した部分が多かった。人物が話す状況によって外側の円形舞台の回転速度が変化するとか、人物の内面が舞台越しに観客にまで語りかけるようなビデオシーンを送信するという演出が独特で印象的だった。また、作品の終盤で劇的な舞台変化が起こる部分では、一瞬息が詰まるほど驚くべき衝撃を受けた。国内初演作のプレビュー公演舞台とは信じられないくらい素晴らしいクオリティの演出に向き合うことになり個人的にとても嬉しかった。
 
演劇〈サウンド・インサイド〉は二人の人物、ベラとクリストファーが生と死、内面と外面について語り合う文学的な作品である。この作品は複雑で、難しく、居心地が悪く、ひっきりなしに心臓を刺す。劇場を出て家に帰る長い時間の間、私はこの作品の話から一歩も離れられなかった状態だった。おそらくこの日劇場を訪れたすべての観客がそうしただろう。ベラとクリストファーの話を反芻し、また反芻しながら彼らの足跡を追っただろう。ぎっしりと絡み合った二人の話が人生について苦悩する私たち全員にある種の霊感を伝えることになると信じて疑わない。一方、演劇〈サウンドインサイド〉は10月27日まで忠武アートセンター中劇場ブラックで公演される。
 
文、カン・シオン文化コラムニスト