ヒストリーを。
2020年の〈ベア・ザ・ミュージカル〉で出会い、お互いの舞台に向かう姿勢に共通点を感じた演出家イ・ジウォン、俳優ホン・スンアン、チョン・フィの3人が手がけるウォンスンフィ・プロジェクト。
2021年春にリーディング公演を行うも、日本からは手も足も出ず。
その後は本業が忙しいらしく公式チャンネルの更新はなし。
(公式チャンネルはこちら)
2022年9月29日。プロジェクト第2弾の開始を知らせる動画が突然アップされた。
今年2月に〈バンパイア・アーサー〉を終えて以来、チョン・フィ君は姿を隠していたので、外国で長期旅行でもしてるのか?もしや軍隊にでも行ったのか?と思っていたら、演劇の準備をしていたらしい。
9月30日。映像アップの翌日にチケットオープン。映像にはチケットについての案内が無く、知らずに過ごす。
10月1日。他のフィ君ファンがチケットリンクで販売していることを突き止めてくれる。しかし既に全席完売。はぎしり。
10月17日。時々覗いていたチケットサイトで一枚だけ戻っているのを発見し、即ゲット!
完売だったけど
一瞬1枚戻ってて買えた
嬉しすぎて心臓バクバクする
と、手を震わせながら思わずツイート。
うあっ!清々しい!
10月28日。ついに迎えた本番はハンソンアートホールで。手作り感が良い!舞台も手作り感満載だった。
噂にだけ聞いていたベンチ式のシート。初体験だ。背中部分に座席番号の紙が貼ってあったが、席自体に境目がない。全員揃ったらお尻が乗りきれるのか心配になるほどだったが、私の列は空席があったので、密着することなく観劇できた。
後味の良いストーリーではないので、後半はポツポツとキャンセルがあったようだ。
彼らが自ら描いたチームの…何と言うのかな?トレードマーク?看板?本物を見られるとは感激。
制作風景。
作品に話を戻そう。
演劇〈動物農場〉
(あらすじ)
「ガウィ」は再開発地域を利用して住宅無料分譲事業を進行しようとしている。しかし「イランの父親」を含め再開発対象地域の住民は自分たちの家が撤去されることに激しく反対する。
その中で「ガウィ」は再開発反対デモ団体長である「イランの父親」に「私の家で暮らしなさい。」という破格的な提案をし「イランの父親」は悩みに陥る。結局、娘である「イラン」との合意の末に提案を受け入れることにし、再開発反対デモを中断させる。
そんなある日、牛畜舎の仕事をしながら「イラン」と一緒に住む家を夢見る「ピルヨン」は偶然「ガウィ」のインタビューを見て入居者に志願することにする。
そして当日、数多くの志願者が「ガウィ」の家の前に集まり、家の中に入る最終10人に属するためのゲームをし始める。
いかにも穏やかそうな外面のガウィ。動物が安全に幸福に暮らせる農場があるなら、困っている人にもそんな場所があるべきだという慈善家。時々イラつくとサイコっぽい邪悪感がほとばしる。スンアン氏の演技力すごい。
畜舎で牛の面倒を見る純粋な青年、ピルヨン。人間よりも牛さんと会話する方が多い彼。同級生だったイランに恋している。かわいい。
俳優志望でオーディションに落ち続けているイラン。素朴なピルヨンに癒しを感じて受け入れるが、彼の前から姿を消す。
反対運動の先頭に立っていたのに、協力してくれるなら無料で大邸宅に迎え入れると言われ、悩みながらも自分の利益を選ぶイランの父。
5人目のキャストは農場主でもあるが、牛の役も兼ねている。ピルヨンと気持ちが通じる心優しい牛さん。
ピルヨンと牛さん、ピルヨンとイラン、至極穏やかに始まった話は、イランと父がガウィの家に入るあたりから風向きが変わってくる。
無料の部屋と3度の食事を得られる代償はペットのような愛称で呼ばれるのを受け入れるだけ。ガウィから愛称で呼び捨てにされたイラン父は最初こそ抵抗を感じたが、イランを呼び寄せる頃にはすっかり順応していた。
愛称、すなわち飼い慣らされることを受け入れた人間の変わっていく姿が怖い。
保護されることと自主性を捨てること。そんな事を考えたが、記事によると支配することと支配されることの関係を描いていると言う。
イランと連絡が取れなくなったピルヨンは心配するが、住宅が無料で提供されるのを知り2人で暮らす部屋を手に入れるためガウィの面接に向かう。
そこで出された課題は、引き出されてきた牛をいち早く解体して食肉にする事。その牛はまさに、つい最近までピルヨンが世話していた牛さんだった。
残酷だと抗議するピルヨンにガウィは尋ねる。牛を育ててきたそうだが、君の手を離れた牛がどうなるかを知らなかったのか?殺させるために育てたのではないのか?
絶句するピルヨンを尻目に、この課題をいち早くこなした10人だけが入居できると宣言するガウィ。ピルヨンは一瞬立ち尽くすが、誰よりも早く牛を撲殺し1位で入居者の資格を手に入れる。かわいさは銀河系のかなたにすっ飛んで消える。
屋内に入った10人の入居者に牛肉のステーキが振る舞われる。食事の世話をするのはイランと父だった。必死で話しかけるピルヨンだったがイランの反応がおかしい。返事をしてくれ!と叫ぶと、イランは初めて声を発する。それはまるで犬の吠え声だった。
ピルヨンは食べ過ぎて胃が破裂し死んでしまう。ガウィはイラン父にピルヨンを埋葬するよう命じる。答える父の声もやはり犬の吠え声だ。暑いと言い続けながらガウィは出て行く。
後に残ったイランと父親。
「私たち、もうやめた方がいいんじゃない?」
「いや、もう少しここにいてみよう。」
犬のように吠え始めた時も怖かったが、隠れて人間の言葉で話す姿はもっと怖かった。犬のように振る舞っていたが、ガウィに合わせていただけ!屈服したかに見せて利用すること。そんな言葉も浮かんだ。
「支配/被支配の関係と共に、生態系、気候など『環境』に対する視線と解釈を盛り込んだ」ともあるので、食糧としての家畜の問題や地球温暖化も仄めかしていたんだろうか。
「ガウィ」はガチョウを意味し、「ピルヨン」は「必然」と同音だ。ピルヨンが食べ過ぎて死んでしまうのはフォアグラを示唆するのか?貪欲な人類の必然的未来を意味するのか?
カーテンコール。