3月30日
プロフィール写真がイマイチだな。
本来はキム・ジョングさんがディアギレフ役だったが、コロナ陽性のためソンユンさんに変更。
3月から5月にかけて、あちこちの劇場で陽性判定によるキャスト変更は日常茶飯事だった。2月あたりには濃厚接触者も陰性であれば隔離は不要になっていたので、頻繁な検査と、ダブル、トリプルキャスト体制が継続を可能にしたのかもしれない。
俳優さんやスタッフたちは自宅の簡易検査で陰性を確認してから劇場入りする(らしい)。症状が出て検査したのか、劇場内でも習慣的に検査しているのかはわからないが、「午前の自己検査では陰性だったが、劇場に入ってからの検査で陽性になった」というような説明がされたことがある。
陽性が出た場合は正式なPCRを受けて結果を待つことになる。タイミングによって当日は休演となる場合もある。運悪くカンパニーの中で何人も陽性になると数日〜1週間の休演になってしまうが、しぶとく、しぶとく、舞台は続く、という時期だった。
それでもキャスト変更にしろ中止にしろ、遅くとも開幕の数時間前までには告知があった気がする。日本では幕が開いてから中止なんてケースもあったが、どういうシステムなんだろう。
ディアギレフの話に戻ろう。
(またまた、この人を追いかけてきた舞台。)
(あらすじ)
バレエ史上最も革新的だったバレエ団「バレエ・リュス」と、そのバレエ団を作り出した団長ディアギレフ。
ディアギレフは生涯最も近い友人であり首席デザイナーのブノワと一緒にバレエ・リュスを創立し、作曲家にはストラヴィンスキーを迎え入れた後、パリに進出する。
彼は幼い頃に経験した父親の抑圧と無視から逃げようとするかのように、劇場の貸館から投資家ミーティング、バレエの練習参観までバレエ・リュスにだけ邁進する。
ある日未明、練習室で踊っていたニジンスキーと出会ったディアギレフはニジンスキーと話を交わし、彼の踊りを見守りながら妙な慰めを受け、ますます彼に惹かれ始める。
ディアギレフ、ブノワ、ニジンスキー、ストラヴィンスキーが念入りに作った「ペトルーシュカ」がパリで大きく成功した後、バレエ・リュスは「春の祭典」を準備する。ディアギレフはブノワをはじめとして一緒に働く芸術家たちと疎通し、振付家であるニジンスキーの構想を実現させるために孤軍奮闘するが、そんな彼の努力にもかかわらず「春の祭典」の初演は悪評を浴びた問題作となる。観客と投資家の非難が殺到する中、ディアギレフは選択の岐路に立たされるが…。
ニジンスキー、ストラビンスキーの名は知っていたが、ディアキレフなんて人がいたのか! また新しい事を学んでしまった…。芸術界、バレエ界には重要な人だったのね。
しかし検索したら軸は事実だったが、諸々のエピソードは創作。韓国ファクションの巧みな罠。まるっと信じてはいけない。
しかし、よく様々な題材を探してくると感心する。次々と。
4月6日
実際の人物について調べたり、春の祭典の映像を見てからの2回目は更に深く楽しめた。(最初からしろよと反省)
バレエを中心に情熱を燃やしたり、愛したり憎んだり、破滅したり。結局物語の主人公はバレエだったんじゃないかという気がしてしまった。
今日のニジンスキーはひらひらと舞う細身の美しいバレリーノだったので、ディアギレフが虜になるのも納得できる。
ディアギレフとニジンスキーが別れるきっかけになった失敗作「春の祭典」。ニジンスキーの主張とは違った形に作り直し、その後大成功を収めたらしい。
作品中でも映像の冒頭の振付をやっていた。
(7:55くらいから)
バレエで袂を分かち、恋人としても自分と別れた後に結婚したニジンスキーに激怒して某SMみたいな妨害、嫌がらせをするディアギレフ。
結果、精神に異常をきたして踊ることしか覚えていないニジンスキーに、泣きながら「そうだ、幸福に踊り続けるんだ」(みたいな?多分?)事を言うんだけど。
ちょっと、何なのアンタ?と思ってしまった。