韓国版と日本版の違い
マイケルは23歳(だったか?)とにかく、もはや子供ではない年齢だ。ティーンエージャーの頃とは違い、これからの人生についても考えることだろう。母親との関係性が異常だっただけで、精神病ではないと思うし、だれよりも高い知性を持っている。
その点、日本のマイケルは少々幼い感じがした。マイケルが幼い演技をしている可能性もあるが、ピンクのパーカーが更に子供っぽさを助長している。衣装だけでも、もう少し成熟した青年味があっても良かったかなと思う。
ちなみに韓国では病院のパジャマ。入院患者である印象が強まる。入院生活=人生のすべて。
話は逸れるが、ピーターソンの愛ではだめだったのかといつも残念に思う。しかし精神病院での生活が続くことを考えたら死によって自由になりたいと望むのも当然かもしれない。
さて、日本の演出は必要以上に親切に表現しがちなので、今回はどうだろうかと楽しみ?にしていたら、やはりその傾向が伺えた。象とアリアを歌うオペラ歌手の口元の映像だ。象はまあ良いとしても、女性の映像を出す必要があるんだろうか?あまりに具体的なイメージを提示されると想像の余地が無くなるのであまり好きではない。
韓国版では映像は全く使われない。その代わり、象を撃つ銃声がとどろき、舞台が真っ赤な照明で満たされる。日本版よりもマイケルの衝撃が大きく伝わってきた。象の動きも涙も、俳優の演技で十分に伝わると思うのだが。韓国の俳優たちの象の鳴き声は人間の声のように聞こえないし、どうやって出しているのか不思議なくらい実物に近かった。
最大の違いは、チョコレートを食べるタイミングだ。韓国ではグリンバーグが電話をかけるところから食べている。グリンバーグがローレンスと話している時に首筋をかきはじめるマイケルもいた。アレルギーのことを知らなければ何とも思わない動作だが、他の俳優たちもローレンスと話しながらだんだん兆候が現れる。それも、知ってから見ないと分からないかもしれない。ただ興奮しているだけのようにも見える。2回目に見ると同じ演技の意味が全く違って見えるのが快感。
そんな状況なので、マイケルはグリンバーグから受話器をひったくるようにして話始める。電話を切る頃には症状が進んでいて、グリンバーグがぐずぐずせずに注射を取りに行ったとしても絶対に間に合わなかったことだろう。その辺もマイケルの計算を感じた。そして誰にも悟られず着実に死に向かうマイケルの絶望が辛い。
韓国の診察室の窓の外には木々が見えて、時折雪が儚げに舞っていた。