〈ブルメポ〉と〈ブラメリ〉見比べてみた | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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韓国ミュージカル
自分の予習復習用につき、かなりの偏りあり
(注意: 目標はネタバレ100%)
メモ付き写真アルバムとしても使用中

相変わらずマイブーム中。


かなり思い出せなくなっていたので、日本版〈ブラック・メリーポピンズ〉の DVDをお借りし、復習してみた。

初めて放送で見た時はかなり面白く、十分に魅力的な展開だった。しかし正直、音楽はそれほど魅力的に聴こえず、演劇でも良さげと思った次第。

 

韓国版においては、「サイレント・ウェンズデー」「近づこうとすると」「曲芸」「彼女の遺書」など、旋律やハーモニーが美しくてヘビロテ中。

 

後で取り上げるように、日本版はナチ党が関わるミステリーからメリー対4人の愛と信頼の物語に比重が移っているのだが「サイレント・ウェンズデー」でも『2人は何をしているの、愛は全部嘘だったの』と歌詞が変わっている。


(ここに限らず、削られたミステリー系要素の歌詞/台詞は、総じて「愛と信頼」的な内容に変えられている。)

これはハンス役のキム・ドビンさんが、ヨナスを演じていた2013年の「サイレント・ウェンズデー」。育ってお兄ちゃんになったのか(笑)?監視に気付いて張り詰める空気感にドキドキ。日本版に監視要素は出てこない。

 

 

ヘルマンとアンナのナンバー2曲も素敵で、イケメンポジションのヘルマンの切なさが萌えポイントなのに、日本版は胸キュン度が低い。童話の物語感を醸し出していた不思議な振り付けも日本版は不採用。結構好きなんだが。

日本版は成長してから避けるのがヘルマンでなくアンナの方。そこはそれもアリかと思うが、アンナを愛しているのに、自分でも理解できない感情が湧き上がってアンナを避けてしまう韓国版ヘルマン。それが切なくて良いのだ。

 

ヘルマンのキャラ変も歓迎できない。ヘルマンはバーで揉め事を起こし辞めた後皿洗いをしており「大衆が熱狂する芸術家」とはずいぶん違う設定になっている。結果「曲芸」の歌詞が書き替えられてアンナ主体のナンバーになり、ヘルマンの切なさ溢れる見せ場が失われてしまった。ショボーン

韓国版の最後は今回バージョンから反則のバックハグ〜!

 

「彼女の遺書」はメリーの切々たる想いがほとばしって「♪나의 천사 보고 싶어 (私の天使 会いたい)」で盛り上がるところが好き。悲しく美しい。ちなみに遺書は1通のみ。(死なないから遺書じゃなく、ただの手紙か。)

 

違いと言ってまず気付くのはメリーの火傷跡とヘルマンの手首に見える大きな傷跡。とても親切だ。日本版は分かりやすい。


しかし曲中でメリーのことを「愛の女神」と呼ぶのは若干居心地が悪い。

 

ヨナスは記憶を失っている。ヨナスが語り手だった韓国版とは異なり、ハンスバージョンは元々そういう設定なのかもしれない。仕事で「メリーポピンズ」を読んだのがきっかけでメリーを思い出し、不安神経症を発症したことになっている。(なんだそれ…韓国版ハンスバージョンもそうなのか?)

 

『散らばっていた活字が元に戻って意味を伝え始める』のナンバーで(正式名不明)、韓国版ではアンナが記憶を取り戻すのに怯えていたヨナスは、自らの記憶が戻ることに怯えていた。

 

しかし、ヨナスはともかく、登場する序盤からヘルマンもアンナもやたら怯えている。記憶が無いのだから怯えるのはおかしい。不安なら納得できるのだが。

 

〈ホープ〉や、先日韓国観光公社で配信してくれた〈最後の事件〉などもそうだが、韓国の小劇場作品は時間や空間の移動・心情の変化が効果的な照明でとても上手く表現されると思う。

 

一方日本版は違うアプローチで、揺れるカーテンやシャンデリアは足元から揺れているような感覚を与えて良いと思った。

 

韓国版よりも舞台が広くて、人目を忍んで集まった空き家には見えない。ずっと屋敷の部屋にいるかのよう。あ!そうか。ナチスから隠れる必要は無いのだった。

 

ということで、最も大きな違いはナチ党の存在がそっくり消されていることだ。これは中心テーマから細かい点に至るまで様々な影響を与えている。思いつくままに挙げてみる。

 

1.バルタ刑事の死因があっさり病死で片付けられている。(背後にうごめく怪しい影の存在は消滅。)

 

2.ハンスは裏切られた記憶としてメリーを恨んでいる。人をまともに愛せないことに悩む。服に血が付いていてナイフを握っている悪夢に苦しんでいる。(得体の知れない怒りやアルコール依存症の様子は見られない。悩みが浅く感じられる。)

 

3.メリーはどこかの図書館で(吞気に)働いている。(ナチ党から身を隠そうとする緊迫感ゼロ。)

 

4.韓国版における、4人を囲んでいた環境の特殊さが薄れている。例えば屋敷の庭には獰猛な猟犬が放されていて自由に出られなくなっていた。優越な遺伝子を持っているので実験用に選ばれた標本集団である。当時も監視されていたし、現在も養父母を含め周囲からの監視は続いている。人生すべてが記録されている、などなど。

 

5.メリーは、苦痛の記憶を消し幸福な人生を送るための実験だと思っていたが、トラウマに縛られない兵士を作るための実験であることを事件前夜に知って屋敷から逃げ出す。翌日4人を助けるために戻ってくるが、時すでに遅し。(苦痛を与えると知っているのに黙って1人で逃げるって?)

 

6.メリーが4人の記憶を取り戻させたくなかったのは、(単に)辛い記憶を忘れて欲しかったから。(韓国版では、ナチ党の実験のことを知っていると命が危険にさらされてしまうから)

 

7.ハンスが会いに行った後メリーは再び失踪するが、記憶を取り戻してしまったなら修道院に会いに来いと書き残す。

 

火をつけると言い出すのはメリーなので必死だったのは分かるが、実父に乱暴されたという彼女の最大の目標は「苦しみから抜け出す」事だ。思い出すと不幸になる。過去の記憶に用はないから捨てなさい。これが日本版のポイント。

 

4人は記憶を消さないことに同意したから、記憶の導火線だったメリーは離れる必要がなくなり、仲良く一緒に暮らして、めでたしめでたし。

 

全体がぬるい。ぬる過ぎる。

 

韓国版の後に再度日本版を見ると、緊迫感が3割がた失われているし、テーマがサイズタウンしていると感じる。こんなに変わっていると日本版で予習復習できないのではないだろうか。

 

「『ある組織』に情報を売るのを博士が反対したから殺した」とメリーがハンスに言い訳するのだが、日本で『ナチス』を出すのはタブーなのか?

 

エピソードが散らかりすぎる場合、設定をシンプルにしてテーマを絞ることはあると思うが、この作品の場合オリジナルも良くまとまっているから、そのまま上演すれば良かったのに。

 

日本版の感想を読んでみるとストーリーに納得できないという方がチラホラいらっしゃるようだ。ぜひ韓国版を見て欲しい!

 

韓国版はこちらから

 

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