数十年前 ここに東方博士がやって来た
왕이 태어난 거라 그 아이를 영접했어
王が生まれたと その子を出迎えた
이것이 비극의 시작
これが悲劇の始まり
헤롯왕은 두려워
ヘロデ王は恐れた
新生児を 皆殺し
ソロモンの栄光も ダビデの勇気も
별과 같은 축복은 이젠 잊혀졌네
星のような祝福は もう忘れ去られた
누가 예언했던가 메시아가 올 거라
誰が預言したのか メシアが来るだろうと
로마를 몰아내고 자유가 올 거라 했어
ローマ人を追い出して自由が訪れると言った
하지만 언제까지 기다려야만 하나
でもいつまで待たなければならないのか
희망은 어디 있나
あなたの民を救ってください
聖書コーナー
2歳以下の男子を殺せと命令したヘロデ王は、聖書によると、無節操で、ずる賢く、疑い深く、不道徳で、残酷で、殺人を好む性格の持ち主であったらしい。実際にはユダヤ人ではなく、エドム人だった。
外交にたけた日和見主義者としての能力を備えており、ローマを支持することが最も自分の利益になると考えていた。
金に糸目をつけずにローマの有力者たちに贈り物をし、自分の反対者を殺させたりした。
自分に対する息子たちの陰謀を疑っていたが、思い違いではなかった。家族もほとんど全員、ヘロデのような人たちだったからだ。
彼は権力欲と疑いに駆られ、妻、3人の息子たち、妻の兄弟と祖父、数人の親友、その他大勢の人々を殺害した。
神殿を再建したり、いくつか良いこともしたが、ヘロデの専制と残虐行為はひどく、その支配の間はほとんど、ユダヤ人との間に問題が絶えなかった。
ヘロデ王の死後、ユダヤ統治のために行政長官がローマから派遣されるようになり、ピラトもそのうちの1人である。
「ローマの支配下で,ユダヤほどローマと険悪な関係にある地域はなかった。ユダヤ人は自分たちの伝統を重んじようとしない異国の主人を嫌い、ローマ人はユダヤ人の頑固さを理由にあくまでも不寛容を示した」古代ローマ百科事典