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知るほど見えてくるアンナ・カレーニナ Ep.3
【騎馬隊 ブロンスキー将校】
それでは帝政ロシア貴族社会の細かい部分を見てみましょう。
かなり重要なのはブロンスキーの職業ですが、彼は騎馬隊の将校です。帝政ロシア時代の小説を見ると、騎馬隊の将校は、多くの場合、最高に格好の良い男性として描かれています。 何故でしょうか。
まず騎馬隊はヨーロッパではとても重要な文化的意味を持っています。
ヨーロッパの貴族層が形成された時、初めに貴族になったのは誰でしょうか。それは戦場に向かう時自分で馬を買って乗っていかれる富裕層でした。
現代までフランス語で騎士のことをシェバリエといいますが、シェバリはフランス語で馬を意味します。
馬に乗る人々と歩かなければならない人々として、人間を分類した文化がヨーロッパ文化の根幹に敷かれているため、現在でも私たちがヨーロッパのマナー、宮廷マナーを何と呼びますか?騎士道、馬に乗る人の道理と呼ぶわけです。
ですから騎士道が入ってくるというのは、ロシアの立場では西洋の礼法が入ってくるという意味がありました。
ヨーロッパの騎士たちの騎士道を1番初めに学んだ人々が誰だったか。当然、ロシア皇帝の新しい軍隊、新式騎馬隊のメンバーでした。
この人たちは、ヨーロッパの騎士のように規則的な生活を送り、朝起きると髪をすっきりと整えて、服を着替え、制服のボタンを磨く、こうしたヨーロッパ貴族たちの儀礼をそのまま学んだ人々なのです。
騎馬隊の隊員たちが脚光を浴びたのは、西洋化された男性たちが脚光を浴びたと言い換えられます。
アンナ・カレーニナの人生で、自分の夫であるカレーニンはモスクワで常識とされる大変旧式な家族感を持った人物であるなら、ブロンスキーは西洋の騎士道を学んだ、当時ロシアの女性たちには接するのさえ難しい、とても貴重で目新しく、新式で自由な男性像であることを、職業自体が物語っています。
騎馬隊には2つ目の意味もあります。それは俸給を受ける職業であることです。
それ以前のほとんど大部分の騎士、貴族社会の騎士は俸給を受けていませんでした。俸給は近代化の象徴です。
大部分のヨーロッパ貴族たちは自分の領地を持っており、その領地から上がってくる収益を家族間で分けていました。ですから自分が個人的に決定できることは何もなかったのです。自分のお金ではなく家族のお金ですから。
しかし騎馬隊が国有化され、隊員たちが公務員となったので俸給制度が始まりました。
それが意味するのは、ブロンスキーのような騎馬隊隊員は自分の収入があるので、前の世代よりも家族の顔色を伺わなくて済む人々だった事です。
さらに騎馬隊員であることにはもう一つの意味があります。もともとヨーロッパでは馬に乗ることが貴族のする仕事だったために、乗馬がうまいこと自体に、その人の人格が優れて見える効果がありました。
例を挙げると、わが国では両班(ヤンバン)になるために科挙を受けなければならなかったので、身言書判(人が備えるべき容姿·言辞·文筆·判断力の四つの条件)がありましたが、これと同じようなものだと言えます。
ヨーロッパでは、馬に乗る人は高潔な人だという期待感がありました。
ですからブロンスキーはまず職業的に、アンナ・カレーニナの心を揺さぶり、キティの心を揺さぶるのにも大変有利な位置にいたことになります。
【舞踏会】
さて、貴族社会で2番目に重要なのが舞踏会です。1番目は馬でしたね。
ヨーロッパ貴族はもともと、離れた場所に暮らしながら政略結婚を進めていましたが、フランスのベルサイユ時代から、貴族たちは自分の領地に暮らさず収入だけを得て、首都で暮らすようになりました。
自分と同じような階級の貴族がたくさん住む所に集まり始めると、配偶者を選ぶ場所があるので、昔のように親が決めるのではなく、踊りながら会話をし、自分が誰と結婚したいかを両親に伝えることができる文化が、18世紀のフランスで始まりました。
ロシアにおいては形として舞踏会で一緒にダンスできましたが、フランスとは異なり、誰と結婚するかは自分で決定できない状況でした。
先にお話ししたピョートル大帝の銅像と同じように、ロシアの西洋化が外側だけに過ぎない事実を、最もあからさまに見せてくれるのが舞踏会です。
すべての事件はどこから始まりましたか?舞踏会です。舞踏会で出会い、舞踏会で恋に落ち、恋には落ちるんですが、その後家族には交際を反対される事実が、西洋化された外側と、依然として古い伝統から抜け出せないロシアの両面性を見せてくれるわけです。
【貴族社会の不倫】
不倫が当時のロシアで持つ意味と、私たちにとって意味するものは全く異なります。
何故でしょうか。自分が愛を誓って結婚をしたのに不倫をしたならこれは背信ですね。許されることではありません。
しかし自分がしたくない結婚をした人にとって、不倫の持つ意味は異なります。愛と言う前提自体がありません。裏切らないと約束したこともありません。
なので、貴族社会における不倫は、私たち一般人が現代社会で恋愛し、自ら選んだ相手と結婚した場合の不倫と、感情的な重みが全く異なります。
感情的な重みは異なりますが、社会的なバッシングは全く同じです。
アンナ・カレーニナを、不倫はしたが100%彼女の落ち度であると言い切るのが難しい部分です。
こうした当時のロシアの社会生活を知ってみれば、私たちが居心地悪く感じる、理解できない事を飛び越えて、トルストイが真に言いたかった事は何なのか、見えてくるのではないでしょうか。