(4:04から)
「ジキルとハイド」は実に語るべきことの多い作品ですね。私がレビュー動画でジキルとハイドの話ばかりしているので、エマとルーシーのことも少し話してみようと思います。
エマとルーシーの特徴は、一般的に持たれているステレオタイプに反した姿を見せてくれる点です。温室の花のように育てられたエマがかえって強くて、道端で荒々しく育ったルーシーの方が脆くて柔弱です。
エマは、結婚式のシーンで…目の前で知人の喉を搔き切って殺してしまったハイドに対して、恐れもせず、非常に沈着冷静に説得するあのシーンは本当に…、切ないとか辛いとか言うよりも、もはや尊敬すべきではありませんか?一体どうしたらそんなことができる?もちろんそれ以前に、暗闇に陥ってしまったヘンリーに対する信頼を崩さない姿にも同じことが言えます。
反面ルーシーは荒々しく生きてきましたが、ほんのわずかな温情ひとつに全人生が揺らぐ姿を見せてくれます。でも考えてみると、これは底辺で生きる女性を描くときによくある設定でもありますね。
私はユン・コンジュのルーシーが一番好きです。その理由は当然ながらとてつもない演技力です。アイビーさんやヘナさんもとても歌が上手ですが、Someone like you (あなただったら)とかNew life (新しい人生)のように、とても複雑で感情の起伏がある場面のナンバーの表現力はユン・コンジュさんがトップだと思います。ユン・コンジュさんの回ではその2曲ていつも涙がポロポロ…。
それとチョ・スンウさん!この方はもともとそういう方ではありますが、こんなに毎日毎回ディテールが変わるなんてありですか?
3ジキルのディテールの違いを動画にあげたのを無駄にするかのように、毎回ディテールを変えたり付け加えたり、とてもいいと思うと同時に鳥肌も立ちました。
ルーシーの肩を治療する時、粉薬のガラス瓶をコツコツ叩くディテール、エマが日記帳を読んでしまった時、どの部分を読んだのかもう一度開いて確認するディテール、獣の声のディテール、この方の回は見るたびに新しい作品を見るかのようでした。いったい引き出しがどれほどあるんでしょうか。
ところで見るに付けこんな事を考えました。「でも憎むのが難しいのです、自分だから」と言うくらいには、ヘンリーもハイドが自分自身だと認知していました。だからハイドは結局ヘンリーであるわけで、ヘンリーは殺人者なのに、「ハイド、この怪物め」と言いながら、殺人者としての罪はケロッと忘れてエマと結婚して幸せに暮らそうとしていたって事ですか?