漫画が好きだ。
漫画を読むのも集めるのも好き。

気に入った本は書棚に並べたい性質(タチ)なので、基本的に電子ブックは買わない。
物珍しさで発売日に入手したAmazonの電子書籍リーダーKindleも、結局メインの読書ツールにはならなかった。

やっぱり紙の本が好きなのだ。

でもそういう感覚ってもう古いというか、コミックスの売り上げの70%が電子の時代なので、紙の本が今後も減り続けていくのはほぼ確実だ。
多くの人は1度読んだ本を読み返すことさえしなくなっている。


近所に、蔵書が増えすぎて自宅の庭に本を収納するための家をもう1軒(さらに別棟で書庫を1棟)建ててしまった歴史研究家のIさんというおじいさんがいるのだが、一度書斎へ上げていただいた際には、既に本棚から溢れた本が部屋にも廊下にも積み上がっていた。

「この本は全部読まれたのか」
と尋ねると、
「本は読むためのものだろう」
とのこと。
馬鹿な質問をしてしまった。

知識欲旺盛で読書家のIさんは、若い頃から給料の大半を本の購入につぎ込んできたそう。
読書を優先して子どもの参観日に行かなかったとか、他にもちょっとここでは書けないようなエピソードを聞いて言葉に詰まったのも今では懐かしい思い出だ。

帰り際に、
「興味のある本があれば進呈するので、好きなだけ持って帰りなさい」
と言われたが、
「いえ、またここで読ませて下さい」
と答えて別れた。

Iさんは御年82歳。健康で長生きされることを。

ちなみにオレよりひとつ歳上のご長男は、この大量かつ貴重な書物に一切関心を示さないとのこと。
子どもの頃の恨みなのだろうか。流石に聞けないけど。


オレはIさんの足元にも及ばないが、現在おそらく3000〜3500冊くらいの漫画本を所有していると思う。
オレの場合読むだけでなく、蒐集すること自体も本を買う目的のひとつとなっているため、Iさんとは別の理由で冊数が増えてしまいがちなのだ。

少しマニアックな話になるが、昨今漫画の人気作品は通常の単行本以外にも、愛蔵版、全集、文庫版など様々な形で出版される。

例えば昨年の冬に出た「ドラミちゃん」の単行本は、過去に発表されたドラミちゃん回を寄せ集めただけのオムニバス的な1冊。
オレは基本的にオリジナル版があれば他はいらないというスタイルなので、この本は購入リストから外していたのだが、巻末にここでしか読めないドラミちゃん大辞典が載っていると聞いて結局購入してしまった(なお、このドラミちゃん大辞典は非常に有益で、この本を買って本当によかったと思った)。

他にも、幻の第1話(計6作品)が掲載されていると評判になった「ドラえもん」0巻は、藤子・F・不二雄全集で全話持っているからいらない...と思っていたのに、コミックス全45巻が1冊抜けている(ような気がする)のが嫌で、結局購入。

現在オレの置かれている状況を鑑みた時、本は増やすよりも整理していく方向で考えるべきなのでは?と思うのだが、出版社のいいカモにされていることは重々承知の上で、蔵書は増えていく一方。
小学館はあの手この手で藤子ビジネスを展開してくるので注意が必要だ(ドラえもんは未だに数ヶ月に1度は重版がかかるモンスターコンテンツ)。


オレは何故自分がこうも漫画本に惹かれるのか、この文章を書きながら考察した。

当然“読みたい本がある”、“読みたい作家がいる”というのが大前提ではあるが、先のドラえもんの例に漏れず、読みたいだけで買っているとは言い切れない節があるのも事実のようだ。

しいて言うなら、“後には引けなくなっている”というのが一番しっくりくるような気がする。
藤子センセーコレクションに関しては、発表されたほぼ全ての作品を網羅していると自負しているので、それももう潮時かなとは思うけれども。


ただ、最近は趣味がどんどん昔の漫画に懐古していっているので、それも焼け石に水というか。

目の前にある大きな底なし沼に、諸手を挙げてズブズブとはまり込んでいく自分の姿が、くっきりと脳裏に浮かんでいる。





(またこんなもの買って...)