新緑の候。
日記をサボっている間に、季節は初夏へと移り変わる。
言い訳をすると、別にサボろうと思ってサボっていた訳ではなく、日記を書く時間を他のことに充てていただけ。
BC(Before Cancer)時代は何でもかんでも後回しにするタイプだったのに、病気になってから用事を先送り出来ない人間になってしまった。
いつ出来なくなるとも限らないからだろうか。
でもそれが習慣になると、仕事が順番に片付いていくのは淀みなくドミノが倒れていくようで気持ちがよいし、1日の終わりに感じる達成感も大きい。
やっているのは茶摘みとかタケノコ掘りとか、本当に取るに足らないことばかりなんだけど、そういう四季折々のイベントに尊さを感じるようになったのは歳のせいなのか。
それとも病気のせいなのか。
今日は次男と三男を引き連れて、梨の摘果と袋かけに行く。
昔、梨農家だった頃の名残りで、自家用に二十世紀梨の木を2本だけ残しているのだ。
たった2本とはいえ樹齢100年に迫ろうかという古木なので、袋は700枚を用意した。
強風で落とされるもの、病気にかかるもの、カラスにつつかれるもの、鹿に食われるもの、熊に食われるものなどを差し引き、実際に収穫できるのは200〜250玉程度なので、かなり効率の悪い生産をしていると思うのだが、たまには逆に鹿を捕まえて喰ってやることもあるので、本当に分が悪いのは鹿の方なのかも知れない。
こちらは命までは取られないからね。
(あ、熊さんと遭遇したら或いは...)
摘果とは、受粉後に多く実った幼果を間引く作業のこと。
だいたい1箇所に10個前後できる幼果の中から、将来性豊かなエースを選りすぐり、1つに絞る。
エース候補が複数個ある場合は、今後の作業効率を考えて、軸の長いもの(袋がかけやすい)、外側に向かっているもの(枝が干渉しない)を優先的に残していく。
言葉にすると簡単なようだが、実際は甲乙つけ難い2つのエースのどちらを落とすか迷って手が止まることもしばしばで、作業は遅々として進まない。
助っ人に呼んだはずの次男は、摘果した幼果をこっそり三男に投げつけるスナイパーごっこに夢中で、時折り「痛てっ」という声とともにキョロキョロと辺りを見回す弟を見ては大喜び。
もう23歳なのに。
オレも子どもの頃、拾い集めた幼果をお椀に入れて妹とままごと遊びをした思い出がある。
最盛期は6反(約6,000㎡)くらいの面積で梨栽培をしていたので、保育園へ上がるまでの平日は、祖父母とともに果樹園で過ごすことが多かったのだ。
ままごと遊びに飽きると、近くにあるお猿の国へ遊びに行った。
お猿の国とは果樹園の手前の脇道を行った先にある、猿だけが棲む広場のことで、オレにとっては幼少期の思い出の場所。
小学生の頃、何年かぶりに行ってみようとしたら、広場どころか入り口すらも見つからなくて、あれは現実と空想の入り混じった架空の世界だったのかと子どもながらに落胆した。
ところが先日、軽トラックで近くを通りかかった際に何気なく、本当に何気なく、
「昔はここに道があった気がするんだよねぇ...」
と呟いたところ、
「あったぞ。前はそこにもう1本」
と、助手席の父から思いもよらぬ答えが返ってきて喫驚。
詳しく聞くと、今から約50年前にこの地域で大規模な圃場整備があり、その際、田んぼのかさ上げをするために、この山の土が大量に運び出されたとのこと。
それに合わせてダンプカーやショベルカーが通れるよう道の拡張工事が行われ、脇道もその先の広場も無くなってしまったそうだ。
話を聞きながらオレは、固く結ばれていた記憶の糸がゆっくりとほぐれていくのを感じた。
子猿を背負った母猿が、オレの真横をゆっくりと歩いて通り過ぎていったこと。
昼寝をしていた大きな猿が、片目を開けてチラッとこちらに目をやり、またすぐに眠ってしまったこと。
突風で舞った砂ぼこりが目に入り、慌てて目を塞いだら、周りの猿たちも両手で目を塞いでいておかしかったこと。
ある日ショベルカーがやってきて、お猿の国を掘り返して行ってしまったこと。
映画「となりのトトロ」の主題歌に“子どもの時にだけあなたに訪れる不思議な出会い”という歌詞があるが、お猿の国の猿たちはオレにとってのトトロだったのだろうか。

