抗がん剤治療5度目の入院。
出発前に、居間でTVを見ていた父親に、
「じゃあな、じいちゃん。行ってくるわ」
と声をかけると、外まで見送りに出てくれた。
男は黙って背中で語ると言われるが、車を見送って家の中に引き上げていくその背中が、父の落ち込み具合を代弁しており哀れを誘う。
抗がん剤の副作用はキツイが、オレにとってはあの背中を見る方が何倍もキツイ。
嘘でも「がんは全部消えたから安心していいぞ!」くらい言ってやりたい衝動に駆られる。
途中、スーパーに立ち寄り、入院中の食料を調達。
病院食を全カットしているのはいいが、最近は病院で何かを食べるという行為自体に拒否反応が出ており、品定めが本当に大変。
前回やその前の入院時には自宅からお弁当が届いていたけれど、へなちょこメンタルが発動して、今はもうその弁当箱を見ただけで吐き気を催すようになってしまった。
売り場を散々行ったり来たりした挙句、あんぱん、コーンフレーク、牛乳、アロエヨーグルト、コーヒー、アセロラ飲料をカゴに入れる。
お惣菜の類や出来合いの弁当は、食べた経験がほとんど無いので食指が動かない。
とはいえ看護師のチェックがあるので、3食菓子パンという訳にもいかない。
困りに困って、とうとう禁断の生モノ、お寿司に手を出してしまった。
マグロ、ブリ、サーモン、アジ、生エビ、イカの6貫盛り。鮮魚コーナーのお寿司はどれもネタが大切れで美味しそうだ。
アジの銀もギラギラしていて「たった今、皮を引きました」という顔つきをしている。
一瞬「生魚は控えて下さいね」と言ったかわいい薬剤師さんの顔が浮かぶが、首を横に振ってカゴに投入。
他に選択肢がないのだからやむを得まい。
食中毒にならなければいいだけの話。
病院に到着し、採血、超音波検査を済ませて受診科へ移動。
診察があると思っていたが、今日は主治医の青年Tが非番とのことで結果は聞かずにそのまま入院となった。
T医師は昨晩当直だったそうだ。
それなら明日の入院でもよかったのでは。
夕飯には先ほど購入したお寿司を喫食。
いかにもスーパーの魚屋らしい、ゴリゴリした食感が食欲をそそる。
寝かせて熟成させた魚もいいけれど、オレはこの締めたての固い刺身も好きだ。
子どもの頃、海が近い母親の実家の祭りで食べさせてもらったブリの記憶を遠くに感じる。
醤油皿に油がはじけるようなギトギトの刺身にがっつくのが、祭り一番の楽しみだった。
翌日は、朝から病院内の慌ただしい雰囲気を察知して目覚める。
夜勤の看護師を捕まえて事情を聞くと、保健所の立ち入り検査が入ったそうで、手の空いた職員総出で大掃除をしているのだとか。
分かる分かる。保育園も監査前はお掃除が大変なんだよねえ。
まあ、オレにとっては監査員よりも事前の園長チェックの方が怖かったけれど。
喧騒の中、青年T医師来室。
血液検査の結果、好中球の数値が下限ギリギリまで下がっているとのこと。
抗がん剤は予定通り行うが、これ以上下がったら別の治療も検討する必要がある旨を告げられる。
「とりあえずマスクは外さず、出来る限り感染予防に努めましょう。ところでご飯、食べられてますか?」
と唐突に聞かれ、
「は、はい。まあ、はい」
と詰まりながら答える。
さすがにお寿司を食べたとは言えず、おむすびを食べたことにした。
魚がのったおむすびだけど。
それにしても、1週間の入院計画2日目からこんなことでは先が思いやられる。
今回の入院中は食事が最大のテーマになりそう。
でも看護師さんにはオレの生禁情報は共有されていないようで、
「お寿司を食べました」
って正直に告げても
「いいですねぇ」
って感じなので、またこっそり差し入れてもらおうかな。
