女性美容外科医の非常識な行動を知つて、思ひ出しました | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります


 この数日、女性美容外科医による非常識な写メと、その言動が炎上沙汰となつてをります。若干内容は異なるのですが、40年ばかり昔の出来事を思ひ出しましたので、お話致しませう。


 昭和60年頃から、私は写真植字のオペレータとして、神戸の或る印刷会社に勤めてをりました。その会社は、元々カメラマンの社長が経営してゐる関係で、大学の卒業アルバムを企画、印刷する事がメインの業務でございました。


 医科大学として認可されたばかりの或る大学に入り込んだ社長は、第1回卒業生の一人をアルバム編集委員長に据ゑることに、見事成功し、編集に着手したのです。

 一般大学ですと、それぞれの部活やゼミに於ける4回生の集合や、スナップをカメラマンが出張して撮影します。医大の場合には、研究室を訪ねて教授を囲んで集合写真を撮ることになります。


 ある日、一人のカメラマンA君が学生と約束した教室を訪ねて行きますと、そこはモルグらしく、台の上には男性の献体が置かれ、上半身はY字にメスが入つてをりました。

 A君は初めて見る光景と薬品の匂ひに、真っ青になりました。そこには白衣とマスクを着用した5人ばかりの学生が居り、その献体を囲んで記念写真を撮れと言ふのです。

 気の弱いA君は、すつかり上がつてしまひましたが、どうにかプロの矜持を取り戻し、数カットのスナップを撮影し、帰社したのです。


 A君は、静かに暗室へ篭りモノクロ写真を焼き付けてをりましたが、赤いライトに浮かび上がる写真を真剣に見つめて、淡々と仕事をこなしてをりました。いつものやうな元気が無かつたのを覚ゑてをります。


 当時はスナップ写真と言へばモノクロが殆どでした。切り跡の生々しい遺体を前に、白いマスクを着けて、こちらを冷ややかに見つめる学生たちの顔つきは、今も私の目にくつきりと浮かべる事が出来ます。


 その当時は「こんな記念写真を撮る神経はついて行けないなぁ」と思ひましたが、極めて真面目な医師の卵たち、いや、まだ卵以前かも知れません。彼らの気迫は感じ取ることが出来ました。

 古いエピソードですが、ただ思ひ出すままに語らせて頂きました。合掌