三たび転落の果てに… <中編> | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

還暦を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 話は二十二日に戻ります。その日から今日まで、ご報告が二週間も過ぎてゐるのには理由がございます。実はこの間、私は精神的に肉体的に立ち直れなかつたのでございます。

 

 深夜十二時前頃、気が付けば私はJR尼崎駅構内の線路の上に倒れてをりました。ところが頭はまだその重大事に気付いてをりません。ふらりと立ち上がる私の前には、プラットフォームの白線と黄色い点字ブロックが見えました。そのとおり、なんと私はプラットフォームから転落してゐたのです。

 

 この時点で次の電車が来なかつたことは、運が良かつたと言ふほかございません。さもなくば、私は己の知らぬ間にこの世に別れを告げることになつてゐたでせう。

 その状況を駅内ビデオで見てをられたのでせう、慌てて若い二人の駅員さんが飛んできて私を引き揚げて下さいました。私のスキンヘッドには爪痕のやうな傷があり、アルコールで血の廻りが良いせいか、顔の左半分は流血にまみれてをりました。懸命に「救急車を呼びましょう」と勧められる駅員さんに「頼むからそれだけはご勘弁を」とお願ひしました。このやうな深夜に病院へ行けば、今日中に帰宅することは叶はなくなります。翌日は早朝から霊園掃除も待つてをります。

 

 ほうほうの体で三田方面の電車に乗り、無事伊丹の自宅へ辿りついたのは、もう日付変更線も越へた深夜〇時半でございました。十時までには帰るはずの私の姿を見た妻は唖然としてをりましたが、「ほら案の定…」といふ表情が垣間見へてをりました。頭以外にも、腰、掌、手首、足首、爪先も負傷してをりました。

 今回も再び恥を忍んで申し上げますと、実は私がホームから線路へ転落したのは、これが三度目でございます。最後に落ちたのはもう十五年以上昔ですが、これもまた尼崎駅の深夜。既に終電が出た後なので無事に済みましたが、もし夜行の貨物列車でも通つてをれば、これまた命を失つたとしても不思議ではありません。と言ふより、次回ホームから転落した場合は死は免れぬ… と肝に銘じるべきだと感じました。

 

 といふ訳で、私は今後、家族の同行なしに外で飲酒することを、妻から固く禁じられてしまつたのでございます。    <続く>