三たび転落の果てに… <後編> | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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 翌朝、全ての手荷物を失つてゐることに気付いた私は、またJRの「忘れ物チャット」に登録しました。ところが先月のやうにすんなりと落し物の情報はもたらされませんでした。

 今回もいつもどほり電車内に私物を置いたまま、尼崎駅へ下車したものと思ひ込んでをつたのです。

 痛む頭を捻りひねり、一休さんのやうに熟考しましたところ、ふと気付きました。

 「さうだ! 私はカバンを持つたまま線路へ転落したのではあるまいか?」

 私は慌てて、JRの忘れ物係に電話をかけ、昨夜の己の不注意(ホーム転落)を説明し、記憶には定かでないが尼崎駅のホーム下を探してみてもらへぬか… と身勝手なお願ひを申しました。

 そして、どのホームで私が転落してゐたかは、二人の駅員さんがご存じなので、その方が出勤されるまで待つことに致しました。恥づかしながら、私には何処やら判らないのです。

 

 豈図らんや、私を助けてくれた駅員さんの指示により、プラットフォーム下の線路に私のビジネスバッグ、いやバッグの残骸および散乱した私物が発見されたのは、翌々日の早朝でした。

 

 二十四日朝、労を惜しまず見つけて下さつたJR尼崎駅担当者の呼び出しで、駅へ直行しました。バッグの中身は、その殆どが消失してをりました。写真を見て頂ければ分かりますやうに、恩人から頂いた革製の財布は無残にも車輪の跡が残つてをります。中に有つたクレジットカードは一枚を残して消失。銀行の預金通帳、キャッシュカード、そしてマイナンバーカードも消失してをりました。金銭も小銭だけはファスナー内に有りましたが、札はありません。すべて、電車の車輪に引つかかり、砕かれた上、散乱してしまつたのでせう。それに引き替へ、別に無くなつてもさほど悔しくもないバンドエイドの缶(私の薬籠)だけは、全くの無傷で戻つて参りました。

 

 これらすべて、線路に落下した私の身代はりとなつてくれたのでございませう。さう考へますと、亡き父母やご先祖様が「お前は酒にだらしなさ過ぎる。命は取らぬが今後は周りの人に感謝し神妙にせよ」と、お諭しくださつたのではあるまいかと、胸襟を正す私でございます。           〈完〉