三たび転落の果てに… <前編> | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 私の母校大学応援団の後輩たちと、その周辺に居た卒業生が寄り集まる「摂津小鉄会」といふ飲み会を、私どもは不定期に催してをります。参加者の年齢はまちまちで、親子ほど年の離れた者も居ります。甲(かぶと)の紋章ひとつを価値観としてをりますゆへ、話題は母校のことから国家、社会に至るまでいつも談論風発でございます。

 

 先週の金曜日(22日)午後六時半から、くだんの「摂津小鉄会」を、その命名の元となつたJR立花駅近く「小鉄」といふ居酒屋を借りて催すことになりました。

 読者の方々はご存じやも知れませんが、私は本業(印刷業)以外に週三回、タクシーの宿直夜勤をし、更に週二回早朝にシルバーで霊園掃除を致してをります。その関係上、夜勤の無い日は例外なく睡眠不足でございますれば、アルコールが入ると子どものやうに寝落ちしてしまふ場合が多々ございます。

 

 この日も前夜は三時間しか眠つてをりませんでした。それでも、後輩たちが酌をしてくれるのを断りきれずに調子に乗つて杯を重ね、予め自分で決意してゐた二時間の枠を大幅に越へ、十八時半から始めた飲み会は深夜に及んでしまひました。これでは無事に帰宅できるはずがございません。

 

 恥を忍んで申し上げますと、つひ六月にも私はJR車中にて眠り込んでしまつたのです。気がつけば、自宅の有る伊丹を乗り過ごして、川西池田駅プラットフォームのベンチに大の字となつてをりました。大事な鞄は持つてをりましたが、もうひとつの補助袋を車内に忘れてしまひ、中に弁当箱と図書館で借りた本二冊が入つてをつたのです。

 現在JRでは、車内駅内にて忘れ物をした人の為に「忘れ物チャット」が設置され、それにアクセスすれば、早ければ翌日には情報を知らせて下さいます。実に有難いシステムでございます。この時は眼鏡を無くしたものの、私の忘れ物の補助袋は、中身を含め翌日私の手に戻つて参りました。

 

 ところが、このたび二匹目の泥鰌は居なかつたのでございます。

               <続く>