この12月16日(月)甲南大学教授にして同大学少林寺拳法部OB(現在・顧問)伊豫田(いよだ)隆敏氏が幽冥境を異にされました。氏は私の同期(法学部)でもあります。
先週に続き、心ならずも我が知己の喪失を話題にすることとなりました。寂しい限りでございます。
まずは、12年前の「甲南大学少林寺拳法部 創立45周年記念誌」に掲載された一文をお読みいただければ光栄です。
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「あるコントラスト」 昭和○年度卒 匿名
「見てみい、少林寺は居るし空手は居る、それに応援団は居るし… 世の中、何も恐いもんなんかあれへんやんけ!」ーーとある先輩のこの一言が、その一瞬の後に、かくも空しい響きとならうとは…。今をさかのぼること二十数年前の深夜、それはわが愛する甲南大生の庭=神戸三ノ宮の繁華街での出来事でした。
「おい、○○、今日は空手や援団の奴らと飲みにいくぞ。お前もついてこいや」
「ごっつあんです!」
明日の飯代にも困つていた下宿住まひの自分に、お断りする理由など何もありません。久々の酒池にひたることができるのですから。その上、日頃お顔は仰ぎ見てゐてもお話する機会など滅多にない空手や応援団の先輩がたの、貴重なお話を聞かせてもらへるやも知れません。
聞けば、当時甲南空手道で竜虎といわれたI先輩(長身、鋼のような体躯で精悍そのもの)とS先輩(段違い平行棒の眉毛で私共他部の後輩にも腰の低い優しい方)、また応援団のY先輩(男らしく何時も呵々大笑の鷹揚な方)、それに団随一のお金持ちで風俗王のO先輩(団の同期生から聞いた話。事実は知りません)が来られるとあれば、ひよつとすると肉林の可能性も……その時童貞の自分はさう考ゑるだけで、夕練の拳立て100回もなんら苦しいものではありません。
それに対する我らが少林寺は、甲南で最もサングラスが似合うかつこいいM先輩、加へて当時文化会女子アンケートにてこれほどの美男子は居ないとの評価を受けたS先輩ーーどなたが来ようと、もうこの時点で、わが部のダントツ勝利だと思ひました。その後数人の先輩が合流され、この夜の一行は総勢12名となりました。
結果から申し上げると、私の秘めやかな願望は、宴の開始後1時間余りであきらめざるを得なくなりました。多くの先輩方からお注ぎ頂いたビールや酒を、正直に威勢よく一気呑みしたからです。いつしか眠りに落ちた自分がふと気付けば、もう夜の11時を超ゑてをりました。私の脇を抱ゑて歩いて下さつたT先輩も、かなり酔つてをられたと思ひます。
その時です。我が少林寺のI先輩が大声で叫ばれたのが、冒頭の威勢よいお言葉だつたのです。
私の目の前に、タクシーを停めて上司を待つてゐると思しき角刈りの若者の姿が見ゑました。フラフラと近づいて行つた空手のS先輩が、タクシーのドアに手をかけていた若者に声をおかけになつたあと、揉み合ひとなり、一撃! 見るからに高そうなお店から大声を上げて加勢に出てきた二人目の若者に、別の先輩が一撃! 派手なディマジオのシャツが、たちまち泥に染まります。あれよあれよと見るうちに、10名を超ゑるパンチパーマのお兄さん達が飛び出してきて、不夜城のように明るい三宮の街の一角は蜂の巣をつついた大騒ぎになりました。お店の人らしき女性の悲鳴や、余り上品でない怒号が飛び交ひ、ある先輩は下駄で頭を数回叩かれ、間に入つた別の先輩が両腕を捕られ、路地に連れて行かれるのが見ゑました。
かかる状況で最終的に頼りになるのは、わが部活動で日ごろ走り込んでいる脚の力でせう。一目散に四方八方へ、或る先輩は中山手通の中央分離帯につまづいてコケながらも、まつすぐ北へ。東方面マンモス陸橋を駆け上がる先輩は、日頃の練習とは別人のような俊敏さです。迷路のような三角市場へ走り込む先輩は、かなり土地勘があるやうでした。もちろん私も現役学生、他流試合は御法度ですから走るしかありません。学ランが黒いのは、夜の闇に溶け込むことができるゆへだらうか…などと呑気なことを考ゑながらも、必死に走りました。
他部の先輩がたは、その夜どういつた運命を辿られたのでせう。しばらく大学でお目にかかることはありませんでした。でも卒業の頃には皆さんが揃つてをられたようで、ホッと胸をなで下ろしました。くだんのI先輩はと云へば、なんと今は大学の要職に就いておられます。
「大言壮語するなかれ」ーーこの言葉は、今では私の座右の銘です。
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上の拙文は、平成19年、甲南大学少林寺拳法部創立45周年記念誌に、匿名OBの投稿を装つて私ことトリトンが書いたものであることを、此処に告白させて頂きます。
ご存知のとほり私は應援團のOBであり、少林寺のOBではございません。ただ、私が経営する印刷工房にて光栄にもこの記念誌を編集・印刷するに当たり、何か面白い話題は無いか?といふことで、寄稿させて頂いたのでございます。
最前列5人の右端が、I氏こと当時の伊豫田教授
実は、この冒頭のセリフを口にされたI氏こそが、何を隠さう、若き日の伊豫田隆敏教授なのでございます。
この一文を読まれた伊豫田教授が「これ、誰が書いたんやろなー」と首を傾げてをられたことを耳にした私は、いつの日かご本人に種を明かさむと、その機会を窺つてをりました。
しかし、この度、伊豫田教授の訃報に接しまして、衷心より相すまぬ思ひを抱きをります。
あの磊落で明るい性格の伊豫田教授のことですゆへ、きつと「お前な~」と私に関節技を仕掛けつつも呵々大笑されたことでせう。その機会が永久に失はれたことには胸が痛みます。
どうか安らかにお眠り下さい。 合掌