畏多くも、30年の御在位ののち、先帝が御譲位せられ、太上陛下となられました。
また聖上に於かせられましては先般、即位の御大礼並び大嘗祭を執り行はれました。
二代に亘り、御儀が厳かに行はるるを見る光栄に浴し、洵に有り難く感激を覚ゑをります。
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さて、それがし個人が振り返るこの平成31年・令和元年は、結構波乱に満ちたものでございます。それは何よりも、父母の介護に関することです。
今春、92歳(大正15年生)の父が要介護5の判定を受けたことに始まります。寝たきりに加へ譫妄の度が加はつて、一時はこの夏を持ち堪へるや否やと危ぶまれる事態となりました。不測の事態に備へる一方、主治医の先生からもある程度の覚悟を言ひ渡されました。
ところがどうでせう。夏の盛りにも1日3度の食事は欠かすことなく自ずから箸を採つて食し、またその旺盛なこと。骨折のため腰は90度に曲がつてはをりますが、はばかりも自らの足で通ふやうになりました。忘れてゐたはずの財産のことも思ひ出したのか、杖を取つて銀行へ赴かむとするほどの回復を、現在示してをります。
その一方で下の世話は人任せで、日に2度のヘルパーさんの合間に、私ども兄弟夫婦が絶へず目を光らせてゐなければなりません。
88歳の母はと云へば、5分前のことも忘れてしまふ認知症で、毎日探し物に明け暮れる毎日。ところが登山で鍛えた足腰を持つゆへ、毎朝よそ行きの服装に着替へては「学校へ行く」と豪語致しをる元気者でございます。
二人の介護介助に振り回される私ども兄弟夫婦も、いつまで続くか判らぬ今後のことを計画的に見る必要を痛感致しをる昨今でございます。
息子は今春大学を卒業し、無事就職も致し安堵しましたが、先日より職場で知り合つた彼女と同棲宣言を致しました。なんとも目まぐるしいのは、私ども夫婦だけではなかつたのでございます。
もともと本業の印刷工房以外に二つのアルバイトで糊口を凌ぎをりますそれがし。斯くして、なかなか天下国家を思ふ時間も無く、生活に追はれるばかりです。
でも昨日、少々嬉しいことがございました。
早朝に運送会社のアルバイト先で、12月繁忙期に雇ひ入れてをつた大学生が居ります。偉丈夫の体躯に加ふる不敵な面構へに、「君は体育会やらう」と声をかけますと、大阪M学院のアメフト部員だとか。素直な性格で、ほんの一ヶ月だけの短期ではございましたが、忙中閑ありで仕事や学生生活の話を致しをりました。昨日その君がバイト最終日とのことで、私の許へ参り「短い間でしたがお世話になりました。またお会ひする機会があれば宜しくお願いします」と、しつかり挨拶するのでございます。
私は「実は自分も学生時代は應援團をやつとつた。そのせいか、頑張る若い人を見ると嬉しくなつて応援したうなるんや」と、今後の奮闘を期するやう応へました。まだ日本も捨てたものではない…と考へます。
全く関連はございませんが、数日前、ヘイトスピーチ法に触れた二人の日本人が姓名公開されました。察するに二人は、かつてサッカー日韓合同W杯の頃に、どうにも不可解な韓国人の反日姿勢とそれに呼応する在日の存在に危機感を覚ゑた年代と思はれます。その意味で、理解できぬ訳ではありません。
しかし「外国人がダメ」ではなく、あくまで「悪い外国人がダメ」なのです。むろん同様に「悪い日本人もダメ」と考へるのが正しい観点ではないでせうか。もとより「○○万人を受け入れたい」などとぶち上げる為政者などは売国奴そのものですが、国籍を問はず優秀な外国人に徐々に門戸を開くのは、一つの選択肢だと思ふのでございます。
ともあれ、深刻な人口問題で先の見ゑない日本が滅びてゆくのを座視するに忍びません。実に拙い私のブログではございますが、来年もよしなにお付き合ひ戴けますれば幸甚でございます。
皆様、佳き年をお迎へ下さいませ。
合掌