舞踊家 さつき緑秀次さんを悼む | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 昨年のことになりますが、拙ブログ 2018年2月20日の「歌舞伎の日…に因んで」、及び2018年9月25日の「伝統芸能に携はる女性の力に感銘」双方で、わが母校甲南大学の文化会サークル「歌舞伎文楽研究部」(略称「甲南歌舞伎」)を取り上げさせて頂きました。文中でご紹介しました本サークルOGのお一人で舞踊家 さつき緑秀次さん(本名・向平みのりさん)が、先週末、幽冥境を異にされました。享年62歳。此処に慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

(写真はネットよりお借りしました)

 

 さつき緑秀次さんは、学年は私の3年下になりますが、お互ひ学園内での記憶はございません。でもサークルは日本舞踊の稽古が主体となる歌舞伎文楽研究部ですゆへ、大学祭(演劇祭)では私ども應援團と同じ舞台を踏んでゐたので、私との縁は此処に始まります。

 

 彼女は今で言ふリケジョで、理学部ではイチゴやバナナの味を化学的に合成するといふ研究をされてゐたさうでございます。ところが、卒業前には有名料亭での女将修行と縁談まで決まつてゐたさうです。そのため、大学を卒業する熱意が冷めてしまひ、卒業を諦め4回生で中退されたと聞いてをります。このあたりの決断の早さは、後々の人生にも現はれて参ります。

 

 その後数十年の歩みは省きますが、私が初めて拝顔の上ご挨拶させて頂いたのは、今から11年前、平成20年12月のことです。翌年2月に、戦後間も無くうまれた市川少女歌舞伎で有名な市川梅香(さつき緑秀)芸道70周年の「踊りとお芝居の會」を催すゆへ、急いでプログラム、ポスターを作成して欲しいといふご依頼でした。このさつき緑秀といふお名前を見ても判りますやうに、彼女のお師匠様です。市川梅香女史は、今も甲南大学歌舞伎文楽研究部を指導を頂いてをります。優れたお弟子さんが先立つてしまつたことに、如何なお心持ちでをられることか…と涙を禁じ得ません。

 

 さつき緑秀次さんが大阪市西区の新町(江戸時代の色街・新町芸者で有名)に於いて「新町・源九郎」といふ割烹を開業されて、今年が28周年。お弟子さんやお嬢様(向平美希さん/松尾塾子供歌舞伎塾長助手)らが店のお手伝ひをされ、落語の高座を開いたり、季節の料理を皆で味はふ会を催したり、いまや知る人ぞ知る人気スポットとなつてをります。

 この名所がこの後どうなつてゆくか、私の密かな心配事ではございます。

 

 「ありがたう、浜村淳」出演でも知られる、お嬢様の向平美希さんは、関西の舞台芸術を支へる女性と連絡し「一般社団法人 関西伝統芸能女流振興会」を引率するほどの才媛でいらつしやいます。

 門外漢の私などが心配するよりも、未来はこの美希さんが佳きやうに引つ張つて行かれることでせう。

 

https://www.kansai-woman.net/theme430.html

https://www.osaka-artscouncil.jp/20180126loungereport/

 

 市川梅香女史から受け継がれたものを、娘の美希さんへと繋いでゆくといふ大きな役割を遂げて逝かれた さつき緑秀次さん 繰り返しますが、どうか安らかにお眠り下さい。

 

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