「国民皆泳の日」… ですか(汗) | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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 私にとつて恐怖の響きがある「皆泳」…

 

 以前「あの日に帰りたくない」といふ拙ブログでお話ししたことがございますが、私は小学校の頃から体育の成績が悪く、一年生の頃より5段階評価の「3」より上になつたことがございません。6年生時には何と「2」にまで下落したものでございます。

 思ふに「3」評価ならば、ボール投げが5m以下とか、走るのが遅い、プールではカナヅチといつた、そもそも運動能力が低いといふ理由が考へられます。しかし「2」評価となると、担任教諭から「こいつは、もうやる気がない」と宣告されてゐるやうなものです。行き過ぎた肥満体で私より運動が苦手な友人でさえ「3」評価だと知つた私は、それ以来、ただ体育の時間は運動場に居るだけで、一切の運動参加をボイコットしたのでございます。

 

 そのやうな6年間を過ごした私は、芦屋市山手に在る私学の中学校へ入学しました。一応、体育以外は学科の成績が良かつたので、160人中5~6位の成績で合格することが出来たのです。なぜそれが分かつたかと申しますと、各学級ごとに「クラス幹事」といふ役があり、入試成績上位の者が無条件で選ばれたからです。クラス幹事とは、言はば学級委員長のやうなもので、何かにつけ学校側からクラスをまとめるやう命令される、実に嫌な役職でございました。

 

 この中学校は、創立以来現在でも、1年生の夏休みに3泊4日の「水泳訓練合宿」が催されます。行き先は淡路島の高浜水泳場といひました。50年前のことですゆへまだ明石大橋も無く、ポンポン船で淡路へ渡ります。

 1年生は無条件絶対参加を義務付けられます。目標は「国民皆泳」ならぬ「全校生皆泳」といふ恐ろしいものでした。最終日にテストがあり、ここで25mを泳げなければ、2学期開始前に毎日学校のプールへ通はねばなりません。それでも25mを達成できぬ場合は、卒業出来るまで毎年繰り返されるといふ屈辱的な規則がございました。

 

 私はといふと、プールは風呂と同じで、浸かつてゐれば良いといふ小学児童でしたので、10mも泳ぐことが出来ませんでした。水の中で目を開けることが出来ず、平泳ぎでもクロールでも、なぜあのやうに息継ぎが出来るのか不思議でならない…。

 そのやうな私が、クラスのまとめ役として「水泳合宿」に行かされる… それを理不尽と言はづして何と申せば良いでせう。

 

 私の運動音痴は、幸か不幸か、1学期の体育授業であまねく知られるやうになりました。

 ソフトボールがバットに当たらない、稀に当たると3塁側へ走る、ボールは顔で受ける… といふ具合でございますので、体育の教師も何となく理解してくれたやうでした。

 

 くだんの水泳合宿には、必ず参加はすべきだが、私と、同じやうな他の数名だけを特別グループに入れて、バタ足金魚から教ゑてあげよう…といふ措置が取られたのでございます。

 

 

 生まれて初めて、幼児教室のやうな水泳練習を受けるのは、周囲の手前たいそう恥づかしくはございましたが、此処で頑張らねば3年間クラスの笑ひ者にされてしまひます。

 そのやうなゼロからのスタートゆへ、最終日の25mに合格することはございませんでした。しかし、顔を水に浸けずに進める平泳ぎを教ゑてもらつた私は、2学期開始前のプール特訓1日目で、どうにかこうにかプールの端から端、25mを這う這うの体でたどり着くことが出来たのです。

 

 体育の先生は「お前の平泳ぎは、前へ30センチ進んでも10センチ下がる。手足の動きのバランスが悪いから、続けて毎日通ひなさい」と慈悲深くおつしやいました。毎日片道1時間もかかる中学校のプールで、先生のアドバイスも理解できたのですが、生来「好きな事しかやらない」「飽きつぽい」私ゆへ、遠慮させて頂きました。

 それでも、手足の動きのバランスは自分なりに図鑑などで研究、改良しまして、今でも辛うじて25mを泳ぐことが出来るのは、この体育の先生のお蔭かと存じます。

 

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