8月2日(現地時間1日)にプロレスラーで一世を風靡した “ハンサム” ハーリィ・レイス氏が76歳で亡くなつたといふ報に接しました。
今回は、プロレスに興味の無い方には申し訳ありませんが、半世紀前に私が撮影した写真と共に、故人を追悼致したく存じます。
つくづく、写真の裏側に鉛筆でメモを書いておいて良かつたと思ひました。お見せする写真は、1973(昭和48)年9月6日、所は大阪府立体育会館、全日本プロレスの試合場です。ジャイアント馬場氏が「全日本プロレス」を設立したのが、その前年1972年ですから、未だ出来立てのホヤホヤです。
まず、私が最も尊敬するドリー・ファンク・ジュニア選手を倒して、ハーリィ・レイス選手がNWA世界ヘビー級チャンピオンになつたのが、まさにこの1973年5月。その2ヶ月後にレイス選手がジャック・ブリスコ選手に敗れ、ベルトを失ひます。これらの写真は、まだ初王座を失つて4ヶ月後です。
まさにレスラーとして、これから上昇気流に乗らむとする30歳のハーリィ・レイス選手の勇姿(本邦初公開)をご覧下さい。
私がカメラを向けると、しつかりと、睨みつけてポーズをとつてくれました。
現在ではどうか存じませんが、その当時は外国人レスラーの控へ室付近に近づくことは厳禁されてをりました。この日は、まだ開場間もなかつたことから、私は外国人選手の控へ室が並ぶ廊下へ侵入することが出来ました。ファンを大事にするレイス選手は、私どもに大層優しく接してくれました。気安くサインをしたり、肩を並べて写真を撮つてもらふ女性ファンも居りました。冒頭の私服姿の3枚は、その際に撮影したものです。
この10分後には全日本プロレス警備係の者に大声でどやしつけられ、控え室前廊下から放逐されてしまひました。「ファンあつての興行のくせに、ケチ臭いこと言ふな」と、少々、頭に来ました。
試合前に百田リングアナ(力道山選手の長男)からインタビューを受けるレイス選手。
タッグ試合の相手は、これも先日亡くなつたザ・デストロイヤー選手です。ペンデュラム・バックブリーカーと、ロープ最上段からのニー・ドロップで痛めつけるシーンです。
試合内容は覚ゑてをりませんが、レフェリーに挙手されてゐる所を見ると、勝利したやうです。
下の写真だけは、翌年来日した際のもので、口髭を生やしてゐるのがわかります。
因みに、試合を裁くジョー樋口さんの胸に NWA 公式レフェリーのマークが入つてゐるのが判ります。レッドシューズ・ドゥーガン氏ばりの俊敏な動きに、試合そつちのけで見惚れることもございました。
私が今さらプロレスファンの方々に、ハーリィ・レイス選手の偉業についてご紹介致す必要もございません。ただ、共に黙祷を捧げて頂けますれば幸甚です。
プロレスファンで無い方には、重ねてお詫び申し上げます。合掌