或る「誤解」の街角 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 長いゴールデンウイークが終はりました。

 以前お話ししましたとほり、父が寝たきりとなつてをり、母も認知症状が一段と進んでをります。それゆへ、兄と私とそれぞれの妻、計4名で入れ替はり立ち替はり介護に勤しむ10日間を過ごして参りました。その甲斐あつて、父は再び立つて歩くことが出来るやうになりました。これには主治医、訪問看護師、ヘルパーさんも驚いてをられるやうです。もともと早くから、加齢(92歳)により腰椎が挫滅して腰が直角に曲がつてをりましたので、歩けると言ふも、赤ちやんのやうによちよち歩きではございますが…。

 

 さういふ訳で当分は遠出が出来ぬため、このGWは折を見て家族と外食をしたり、家庭でバーベキューをすることで憂さを晴らすことになりました。幸ひ、近所には大手の外食産業チエーンが覇を競ふかの如く林立致しをるといふ、誠に恵まれた環境に居住しますゆへ、行く先に不足はございません。

 例へば中華料理を見ますると、大阪王将、京都王将、バーミヤンなどが文字通り犇いてをります。

 でも私は、チェーン店ではなく一人の店主がコックをし、夫婦や家族、近所のおばさんたちがそれを手伝つてゐるやうな、昔ながらの中華料理屋が大好きなのでございます。

 

 私が新神戸の印刷会社に写植オペレータとして働いてをりました頃、年齢にして20代後半から30代前半ですゆへ、もう30年も前のことです。

 

 仕事場の近所に夫婦で店を切り盛りしてゐる中華屋○○亭があり、たいそう繁盛致しをりました。私も昼食は毎日のやうにそこで、肉飯+拉麺セットを食してをりました。若い奥さんがホール采配のみならず出前も担当致しをり、本当に働き者でした。ところが誰もその奥さんの話す声を聞いたことがありません。ホールでメニューを通す時と、出前の際玄関で「○○亭です」と言ふだけでした。どうも言語障碍があつたやうでした。

 髪を短くして、容姿は決して不細工ではなく、むしろ綺麗な方でしたが、猛禽類を思はせる、他人を近づけ難い鋭い目をしてゐる女性でした。

 

 ある日の昼下がり、彼女が亭主(コック長)から店でボロクソに怒られてゐる時があり、間の悪いことにそこへ私が店に入つたのです。注文を頼んでも怯えたやうな態なので「急いでないよ、ゆつくりでええからね」と優しく言ふと、こつくり頷きました。そしてラーメンを持つてくると、そのまま私のそばを離れないのです。食事が済んで勘定を済ませ、出て行かむとすると、涙目で私を見つめるのでした。

 

 仕事場の近所に、主に「ビニール本」を扱ふオレンジ書店といふ本屋がありました。その店はコミック単行本も多数揃へてあり、劇画「女囚さそり」が好きだつた私は、新たな号が出るたびに、そのオレンジ書店へ通つてをりました。

 ところが、ご近所に住む人々は「ビニール本屋」イコール「大人の玩具屋」イコール「極道」と誤解してをつたやうです。

 

 

 ある日の夕方、私が「さそり」を数冊抱へてオレンジ書店を出ようとすると、くだんの○○亭の奥さんがちょうど出前の岡持を提げて店の前を通過するところに鉢合はせしました。彼女は唖然として声もなく、私の顔と店の看板を見比べ、そのまま挨拶も無く走つてゆきました。

 

 それからは、○○亭へ行つても奥さんが私に愛想よくすることは無くなりました。「何か誤解してるみたいやな」と思ひましたが、別に近所の飯屋のおばさんに言い訳するのもおかしいやうな気がして、釈然とせぬまま、私はいつもの肉飯+拉麺セットを食するのでございました。

 

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