朝、仕事に向かふ前は、時計替はりにテレビでワイドショーを、観るともなく眺める習慣がございます。
今朝は平成最後の日ゆへでせう、天皇・皇后両陛下の昭和・平成に於けるご事蹟を辿る番組を放送してをりました。災害や困難の中に在る国民に、自ら足を運んで触れ合はれる両陛下の有難いお姿が、繰り返し映像に出て参ります。
とりわけ、皇后陛下が障害者に対峙され、その中の子が御胸に抱かれる映像には、いつ観ても私は胸が熱くなつて参ります。
私事で恐縮ですが、それがしも妻も現在63歳で、これまでの人生の前半は昭和、後半は平成と分類できます。長女は30代半ばですので、彼女は平成の時代と共に肩を並べて生きてきたことになります。
以前にも触れたことがございますが、娘はダウン症として生まれました。初産でしたゆへ、私ども夫婦や一族にとつてこの衝撃は著しいものでした。毎日泣き暮らした覚ゑがございます。医師からは「短命です」と言はれました。
ダウン症の多くの児らが心臓疾患を持つてをります。娘もまた例に漏れず、心室中隔欠損などを患つてをりました。2歳の頃、風邪から心肥大となり横になつて眠ることも出来ず、夜中も起座呼吸をするので、近くの病院に入院しました。
担当医から手術が必要と言ひ渡されましたが、その言葉に次いで「手術を希望されない親御さんもいらつしやいます。…解りますね…」と言はました。
当初は意味を測りかねましたが、帰宅してから「ああ、さういふことか」と気づきました。前途に希望を失ひ、目の前で近々に死ぬと分かりつつ日々を暮らす親御さんたちも居るのだと知り、愕然と致しました。
親となつて年月も余りありませんでしたが、「それは出来ない」と思ひました。心臓病の手術は高額医療となりますが、我が国は健康保険が整つてをります。心臓外科では大きな権威のあるK大学病院が河内長野の方に在り、そこで大手術を受けることになりました。
病棟の大部屋には小学校に上がるか上がらぬくらひの幼い子ばかりが手術の日を待つてをりました。隣のベッドの子は、取り出した心臓が大きくなつたため元の体に入らなくなつて亡くなりました。手術の日を前に絶命する子も居りました。
幸ひ、我が娘は手術が成功し、無事生かされて、30年経過した今も元気に毎日施設へ通つてをります。
私、妻、長女はこうして、足掛けで、昭和・平成を生きて参り、明日からは令和を生きることが出来ることになりました。人は生きるのも大事ですが、生かされてゐるといふ当たり前のことを知るべきだと思ひます。己独りだけの命ではないのだと悟るべきではないでせうか。
皇后陛下(美智子さま)が、慈母観音の如く幸薄い子を抱きしめてをられる御姿を見るたびに、さう肝に銘づるのでございます。