今朝、出社前に朝のワイドショー番組を見てをりますと、現在、小学校のPTA役員のなり手がなく、その選出に大変な苦労してゐる状況が、大きく取り上げられてをりました。
何しろ小学校の場合は入学式に始まり運動会、音楽会、夏休みの最中まで、春夏秋冬催しものばかりで、親の全面協力が欠かせません。また、小学校は地元との密着性が高く、そのまま永久的に地域社会と繋がるゆへに、児童も親も、さうさう無下に断ち切ることが出来ないのです。
これは地元の繋がりを大切にしてきた日本社会に於いては、とりわけ自治組織の先端とも言へる PTA の存在は欠かせないものだと言へませう。
といふ趣旨は十分理解できるのではありますが、すべからく役員といふものは、実際に PTA にしても、任意の児童サッカークラブや野球クラブにしても、親の時間的、精神的負担は相当なものがございます。大家族は大昔に消滅し、私どもの頃とは違ひ、両親共働きや片親といふ家庭が多くを占めるので、役員への就任を忌避したがる気持ちもよく解ります。
話は少々変はりますが、私ども家族が新築マンションを購入してより既に30年を越へます。一戸建てとは違ひ、マンション住まひは管理組合に毎月管理費を納めるので、改修の際に多額の拠出をする必要がございません。その代はりに、10年程に一度は管理組合の役員が廻つて参ります。
通常の年度なれば、管理組合がやることはさほど多くなく、積立金を使用する大規模修理の時が業者との折衝に忙しいくらひのものです。
四半世紀前、私があみだくじで管理組合の副会長に当たつた時「今年の仕事は、自転車駐輪場のクジ引きくらひです」とのことで、高を括つてゐたのが正直な所でした。ところが年が明けて平成7年1月に阪神淡路大震災が起きたのでございました。
住民が怯へて殺伐とした雰囲気の中、私どもの年度の管理組合がスタートしました。
先づは、3棟のうちの1棟に「半壊」指定が出たことから、それに対して出された義援金を組合に全額拠出してもらふのに苦労しました。何しろ、各戸により被害の程度が大きく異なります。ほとんど無傷の部屋もあれば、大きなクラックが出て一月の隙間風が入るやうな甚大な被害の部屋もございます。被害がマンションの「共用部分」であれば、負担は頭割りですが、「専用部分」であれば、その部屋の住民が負担せねばなりません。徐々に不公平感が募つて参ります。
そんなこんなで、一部住民が疑心暗鬼に陥ることもあり、1月から4月頃までは毎晩のやうに役員会でした。
尼崎市に在る私の仕事場は運良く被害も少なかつたのですが、印刷の「写植」の仕事は激減し、先行き不安の募る中、よく副理事長が務まつたものだと、今にして思へば不思議な思ひがするのです。
あの震災時の役員が務まつたのだから、地元自治会や PTA の役員くらひは何とかなるだらうといふ気持ちが内心何処かにございますが、反面それでもクジ引きの際は「どうか当たりませぬやうに」と掌を合はせる姑息な気持ちが先に立つ私でございます。