中学校時代の国語の教科書に掲載されてゐた物語を、ふと思ひ出しました。題名は忘れましたが、支那の古典で、或る弓の名人がその技を文字通り極めてゆくといふ内容でした。
弓を持たせれば如何なる標的も百発百中のその男が、戦国の世で出世してゆきます。国中の弓達者が、我こそはと挑戦して参りますが誰一人勝てません。天下一の軍師となつた彼の技は、益々冴へわたり神業となつてゆきます。
彼の眼光はもはや「弓」そのものを持たずとも、ただ睨むだけで野鳥を射抜くやうになります。
数十年経過しました。年老いた彼が弟子たちに招かれ、宴に出席します。そして、床の間に立てかけてある道具(実は弓)を指差し「これは何といふ物か?」と尋ねるのです。初めは冗談だと思つてゐた弟子たちは、やがて唖然としてしまひます。彼は、既に弓といふ物体からも超越するほど窮極の域に達してゐたのです。
……と、まあこのやうな話でした。荒唐無稽とも言へますし、支那流の「白髪三千丈」的な英雄譚かな、といふ印象を持つたのを覚ゑをります。
見方に依つては、もしかすると、弓の名人も最後は認知症を患つてゐたのやもしれませんゆへ。
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さて、前回の話にも登場しました、芦屋市の山手に在る私の母校は、旧制高等学校がその前身で、幼稚園から大学院まで有り、かつては名門と言はれたものです。(多分今もかな!?)
おそらく政財界の偉い方々の縁戚とかコネクションで、三顧の礼で招かれて採用されてゐたのでせう。とりわけ柔道、剣道、音楽、保健衛生には巷でも相当なクラスと思はれる、偉人と呼ばれるに近い方々が専任講師として居られました。
中でも剣道と書道を受け持つてをられたN先生の姿は忘れられません。中学一年生の時に入学した私ですが、このN先生はその頃でも既に70歳は優に越へてをられたと思ひます。大変失礼乍ら、その容姿はまるでフランケンシュタインの怪物のやうで、何となく黴(カビ)とナフタリンの匂ひがしました。加へて、強い東北訛りらしく、当初は先生が何を話してをられるのか解らなかつたのです。
ところが、N先生はやはり只者ではありません。剣道の基本稽古の途中に、窓から2匹のアシナガバチが迷ひ込んで来たことがございます。N先生、最初は自分にまとはりつく蜂を無視されてをりましたが、執拗さに業を煮やしたのか、片手に提げてゐた竹刀をヒョイヒョイと2振り、蜂は2匹ともその場に落ちてゐました。生徒全員が、驚きに顔を見合はせたのは言ふまでもございません。
N先生に手ほどきを受けた事のある国語のS先生から聞いた話では、こちらが完全装備で丸腰のN先生に掛かつて行くと、ヒョイとかはされます。そして
「面いきますよ」「はい、面」
「小手いきますよ」「はい、小手」
…と、まるで人形を叩くやうに打つてこられたさうです。
今も道場の正面に掲げられるN先生の遺影
ところが最初は純情な私どもも、年月を追ふうちに生意気盛りとなつて参ります。
ある日、書道の授業が終はつて教室を出、職員室へ向かはれるN先生の後ろ姿を見ましたところ、下の写真のやうに背広上着の後部に割り箸が挟まつてをります。恐らく、悪童の何人かが授業中に教室を廻られるN先生に、こつそり悪戯をしたものと思はれました。
最初は「何て失礼な」と思つて見てゐた私も、いつの間にか笑ひが込み上げて参りました。そして遠くN先生の後ろ姿に深く一礼し、思はづ「名人、隙(すき)あり!」と叫んでしまふ自分を止めることは出来ませんでした。