冒頭から私事ではございますが、一昨日より父が寝たきりとなり、仕事場の有る親の実家にて不慣れな介護を致しをりますゆへ、今後の展開によつてはブログアップが不定期になる可能性が出て参りました。その折には、だうかご理解頂きましたる上、今後とも倍旧のご愛顧いただきたう存じ上げます。
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さて、唐突ではございますが、4月4日付「わがままなマック」様のブログを拝読致しました。そこで忘れやうとて思ひ出せない、ん?さうではなくて、忘れやうとて忘れ得ぬ、高校時代の後輩にまつはる想ひ出を、ここに本邦初公開致すことを決意しました。因みに、舞台は芦屋の山手に在る男子校でございます。
そのZ君は、今で言ふところの「アスペルガー症候群」だつたのではあるまいかと、素人判断するのですが、とにかく周囲の目と常識を見事に覆へす行動力の持ち主でした。
学級で大多数の生徒が、或る社会科の課題をやつてこなかつた時のことです。Z君は別に学級委員でもないのに「この事態は、僕の不徳の致すところです」と社会科教諭に謝罪し、つかつかと廊下に出て、ズボンを緩めてカッターシャツをはだけ、おもむろにカッターナイフを腹に突き刺したのでした。先生は真つ青、教室は上を下への大騒ぎ。
すぐに保健室へ担いで参りましたが、カッターナイフの刃は不幸にして、いや幸ひと言ひますか彼の崇高な意志をよそに、殆ど物を切れるやうな代物ではなく、単にZ君の腹からすこし血が流れる程度に終はつて、一同ほつと胸を撫で下ろしたのでございます。
でも、彼の行動は一日にして全学年生徒の知るところとなり、一躍大スターならぬ要注意人物として認識されるやうになりました。
Z君の父上は何処かの大企業の偉い方です。勿論、お母上は教育熱心で厳しい方でした。そのせいなのか、或いはZ君の性格に依るものかは即断出来ませぬが、友人は少なく、従つて付き合つてゐる彼女はいません。
でも或る日彼は「彼女の代理」を発見しました。名はアンナちやんと言ひました。そのきつかけを作つたのは、私が毎日学校に持参してゐた大阪スポーツ新聞(東京では「東京スポーツ」、名古屋では「中京スポーツ」)の広告欄だつたのです。オリエント工業といふ会社の広告で、シリコン製の看板娘でございました。
誤解の無いやうに申し添へますと、私はあくまでプロレス記事を読むために大阪スポーツ新聞を購読してゐたのであり、他意はございません。プロレスに興味の無いZ君は、同紙の別のページを楽しみにしてをつただけの由でございます(汗)。
Z君はそれ以来、性格も心なしか明るくなり、積極的では無いにしろ級友と馬鹿話にも興づるやうになりました。密かにアンナちやんをリュックに乗せて海や山へ向かふ彼の目には年頃の少年らしい光が宿つてをりました。
私は無事卒業し、そのまま後輩Z君のことは忘れてをつたのです。
間もなくZ君も3年生となり、修学旅行を迎へました。惨劇はその2日目に起きたのですが、旅行中のZ君は知る由もありません。
Z君の厳母が、彼の部屋を掃除してゐたところ、スポーツバッグの中に美しい女性が収納されてゐるのを発見し、仰天しました。ところが気をとりなおしてそれを点検するうちに、そのアンナちやんが一体何者であるかを悟つてしまひます。
嫉妬に狂つた女性といふものは、いや、さうぢやなくて、母親といふものは恐ろしいものです。あ、違ふかな。教育熱心な母といふものは… と言ひ直すべきやもしれません。逆上した母上は、自分の部屋から裁ち切り鋏(はさみ)を持つてきて、アンナちやんの五体をズタズタに切り刻んでしまつたのです。
修学旅行から帰宅したZ君は、アンナちやんの惨状を目撃したその日から、元の静かで危なげな少年に逆戻りしてしまひます。
明くる日は旅行後の代休で学校は休みでした。アンナちやんをスポーツバッグに詰め直したZ君は、一路須磨海岸に向かひました。彼女との想ひ出の海岸で砂を掘り、バッグを深く埋めた彼は、墓標も準備して建てました。そこには墨痕鮮やかに書かれてあつたのです。
「妻の墓」