孤高の3児童の想ひ出〈2〉飛び降りた少年 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 K君は成績優秀な級友でした。算数や理科が得意で、且つ運動会でも大活躍するやうな、闊達な男子です。

 正しいことを曲げることが出来ない、良く言へば「正義の味方」でもございました。悪く言へば「融通の利かない頑固者」です。

 

 昭和30~40年代、私どもの小学校では6年生のみ「クラブ活動」といふ授業がありました。全員が学級別なく「科学クラブ」「音楽クラブ」「社会科クラブ」「体育クラブ」「習字クラブ」「図画クラブ」といふ6つのいづれかに属して、普通教科の一歩先の事を学ぶ時間で、週に1回ございました。

 K君は科学クラブに所属しました。そこで、普通の理科授業では習はない「物体の重さと速度」を教はつたのです。

 さうです。「重い物も、軽い物も、同じ速度で落下する」といふ少々不思議な、あの真理です。勿論、実際には風圧や空気抵抗もありますので、それを考慮しなければ…といふ条件付きですが。

 K君は「科学クラブ」に所属し、この現象と実験に大きな知的興奮を覚へたのでした。

 

 他日、小学校のイベントで或る講師の方が講演をされました。確か「命を大事にしよう」といふテーマだつたと思ひます。その中で講師の方が「人がビルの上から飛び降りたら、重い頭の方から落下する」とおつしやつたのです。私ども児童は、そんなものかなあと納得してをりましたが、K君は断固、承知しませんでした。この講演会は質疑応答時間が無かつたので、講師の方はそのまま帰つてしまひました。

 

 納得できないK君は、それから数日のあいだ悶々としてゐたやうです。

 

 

 ある日、昼休みの給食が終はつた午後0時40分頃、K君は校舎(写真参照)の二階から突き出た庇(ひさし)の上に立つてをりました。眦(まなじり)を決した表情で、右手にはドッジボール、左手には重い鞄を持つてゐます。

 運動場で遊んでゐた1年生から6年生の児童らが、それに気づいて「何事ならむ」と、わらわらと寄つて参ります。

 すると、K君は庇の先端に進んで左右前方に手を広げ、両手の荷をパッと離すと同時に、何と自らも地面へ飛び降りたのです。

 

 近くで見てゐた児童らはキャーッと悲鳴を上げました。庇の高さは二階の窓くらひですから、3メートル近くはあるでせう。K君は足から落ちたので、骨折しないまでも足を挫いてしまひました。でも、彼の表情はとても明るいものです。地面に倒れた彼の右にはドッジボールが、左には鞄が落ちてをりました。

 

 「どうや、二つとも僕と一緒に地面に落ちたやろ。僕も足から落ちたやろ。さうやろ!見たやろ!」と、倒れつつも周囲に同意を求めるK君に、周囲の児童もただ唖然として、返事をかへす者は誰ひとり居りません。

 午後の5時間目が始まる頃、事態に気付いた先生方が慌てて走つて来て、K君を担架に乗せて保健室へ走つてゆくのを、私は教室の窓から眺めてをりました。

 

 ほんの2、3メートルの落下ですので「人間が頭から落ちない」ことを証明するには、いささか説得力が弱いものがございます。しかし、私は彼の「勇気」に一目置くと同時に「あいつ、頭おかしいのとちゃうか」と思ひました。

 

 その後、社会に出たK君は外資系の巨大で超有名なコンピュータ関連会社に就職し、活躍したと聞いてをります。K君のやうに、少なからづ変はつた人、「孤高」の人こそ世の中をリードしてゆくのでせうね。

            (この項つづく)

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