孤高の3児童の想ひ出〈1〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

還暦を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 アメブロによりますと、昨日は「ミシンの日」だつたとか。私が子供の頃は各家庭にミシンが一台在つたものでございます。

 

 現代はユニクロへ行けば、いとも安価に普段着でもよそ行きでも手に入りますが、昔は衣類は高かつたのです。母が近所に有る服地の店で生地を買ひ求めて、自宅でブラウスなどを縫ひ、ハギレ屋で買つた生地でリボンやアップリケを作つてブラウスの胸に飾りを付ける。かういふことが日常的に行はれました。忙しい主婦がたの、ひとつの嗜みだつたのでせう。それゆへ、ミシンは家庭に無くてはならぬものだつたのです。

 

 私も小学校4年くらひになりますと、学校で「家庭科」の授業があり、学級全員、男子も女子もミシンで雑巾を縫ふといふ課題がございました。それが終はると次は前掛け(エプロン)を作つた記憶がございます。一枚の木綿を渡され、そこから紐にする部分を切り取つて、裾を折り返してポケットを作りました。そのポケットに、それぞれの児童が好きなキャラのワッペンを貼り付けると出来上がりでした。

 

 ちなみに、ワッペンは私の小学生時代に爆発的に流行しました。恐らく、東京オリンピックの選手団が着用してゐたユニフォームの胸に付いた五輪の印が切つ掛けだと思はれます。森永(?)のお菓子の蓋を何枚か集めて製造元に送ると鉄人28号のワッペンが当たつたりしたものです。

        ◇

 さて、ミシンには、恐ろしい想ひ出もございます。

 別学級の児童の一人H君が、ミシンの糸を交換する際に誰かがペタルを踏んでしまひ、左人差し指をミシンの針が貫通したのでございます。もちろん流血淋漓ですが、彼は至つて平然と致しをりました。

 実は、このH君は他にも流血沙汰がありました。一部男子の間で流行つてゐた遊びで、掌を机に開いて置き、指の間を、鉛筆の後部を使つて決められた順に交互に叩いてゆくといふものがございます。

 

 

 叩く順序は、①② ①③ ①④ ①⑤ ①⑥

 そして逆に ①⑤ ①④ ①③ ①②

 このパターンを繰り返しつつ、最もスピードが速い者が勝ちといふ、至つて単純なゲームです。恐らく、下町の少々悪げな子供らが思ひついたのでせう。

 教室の一隅で5、6人の男子が集まり、最初は鉛筆の後部で交互に競つてゐたものが、徐々にエスカレート。鉛筆の後部が尖端に替はり、いつしかコンパスの尖端を使ふに至りました。

 くだんのH君のスピードはずば抜けてをりました。最初は笑つて見てゐた悪童どもも、次第に目が血走つて参ります。案の定「弘法も筆の誤り」… と言ふと弘法大師が激怒されるでせうが、H君が誤つてコンパスの針を中指に突き刺してしまつたのです。

 ところがH君、何の痛がるそぶりも無く、血の出た指を舌で舐めて平然と自分の机に着席したのでした。

 

 その頃から、H君に近づく者は誰も居なくなつてしまひました。担任教師も含め「あいつは何を考へてゐるのかわからん」と畏怖の念を抱かれ、孤高の少年となつていつたのです。            (つづく)

 

ペタしてね ペタしてね