恩師・卆寿・クラス同窓会 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 冒頭で「とどちゃんのブログ」様のリブログをご紹介しましたのは、来たる三月に私が幹事役で、昭和43年に小学校を卒業したクラス同窓会を開催することになり、縁もゆかりも無いとは言へ親近感を持たせて頂いた為です。

 此処に書かれてゐる内容は、この度の私どもの情況とかなり相通づる処がございます。

 

 まず私どもの恩師E先生は今年卒寿(90歳)を迎へられること。

 そして、平成7年(1995)の阪神淡路大震災を間に挟んで同窓会を運営して来られてゐることです。

 察する処、ブログ名の「とどちゃんのブログ」といふ中に登場する「とどちゃん」といふ方は、どうやら、この大震災で亡くなられてゐると思はれます。

 

 

 私どもが昭和43年に卒業した小学校は神戸市東灘区に在り、その当時でも創立90周年を越へる古い名門校でした。担任のE先生が、当小学校に在任された期間は3年。そのうちの3年、乃至2年を、学級の皆で共有しました。E先生は丁度私どもの父親(少し若い)くらひの年齢でした。厳し過ぎず、優し過ぎず、といふスタンスを守られてをるやうに思ひました。

 支那大陸に住まれた経験から、皆が知らない支那の故事や出来事、当時歌はれた歌なども披露して下さり、楽しい学校生活を送らせて頂きました。今日この二・二六(昭和11年2月26日)を「昭和維新」と呼んだといふことも教へて頂きました。

 

 Eクラス同窓会も10年に一度ほど開かれてをりましたが、幹事役を私といま一人の級友が引き受けたのが平成元年(1989)の頃ですので、平成の30年間を幹事として過ごしたことになります。

 忘れ得ぬのは、平成7年(1995)の阪神淡路大震災で、母校や、地元に当時も住んでゐた級友の消息を求めて奔走したことでせう。こういつた時の女性級友同士のネットワークといふものは素晴らしい力を発揮することも知りました。E先生が、震災後の大火災で知られる長田区に住まはれてゐたことも皆の危機感と結束力を高めました。悲しいことに被災者生活の渦中で、一人の級友を失ふこともございました。

 そのやうな中で、震災の年にEクラス同窓会を20人余り集めて開催することができた時は、まさに感無量でございました。

 同学年の他クラス幹事に呼びかけて、2クラス合同で開催することもありました。

 それからはE先生の喜寿を祝ふ会あり、叙勲を祝ふ会あり。そしてこの度、卒寿を祝ふ会を来月、神戸三宮にて開くに至つたのです。

 

 舟は作つて水辺に降ろすまでは大変な労力を要しますが、一旦水面に浮かんだ舟は、それ以降は楽に進めることができます。

 今後、行方不明の級友を探し当てることはあつても、会員が増ゑることはなく、むしろ年を経るごとに減つてゆきますが、この小さな集まりを心の道しるべとし続けてゆく所存でございます。

 

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