車椅子を押しながら考へたこと | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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▼1月のあなたはブロンズランクでした

 

 10日ほど前、92歳になる父が自宅で足の裏に火傷をしました。そもそも高齢で歩行に時間が掛かつたのですが、火傷のせいで益々歩行が覚束なくなつたので、市役所へ行き、無料で車椅子を貸し出して頂きました。

 

 昨日、私はその使ひ慣れぬ車椅子で、父を近所の皮膚科へ治療に連れて参りました。これまでも手押しワゴンは使用してをりましたが、それに比べ、車椅子の威力といふものは大したものですね。歩行者の皆様は皆、道を譲つてくれますし、エレベータに乗る際も譲つて下さいます。駅へ行けば駅員さんが、忙しいにも拘らず、乗車のための板を持つて来て下さいます。

 

 こと人間(日本人)の生き方に関する限り、昭和の価値観を引き摺つてをりますそれがしではありますが、昔より現代の方が進化してよくなつてゐると感ずるのは、この高齢者や障害者に対する、人々の人権意識です。我が子(長女)は障害者として生まれ30歳を越へましたが、彼女が子どもだつた頃、人々は今ほど優しくはございませんでした。

 

 突然ですが、今日は「プロレスの日」といふことで、若干、車椅子と関連したプロレスの話を致します。

 

 アメリカのメジャープロレスと言へば WWE です。この WWE で10年程前、ザック・ゴーウェンといふ隻脚(片脚)のレスラーが活躍してゐたことがあります。年は見たところ二十歳そこそこの痩せつぽちで、筋肉モリモリではありませんでしたが、義足を着けず、片脚を駆使してリングを跳ね回り、コーナーポストからの飛び技まで使ひこなす凄い才能の人でした。

 ここから先は、日本ではあり得ない事です。そのゴーウェン選手を虐める悪党が、あの野獣ブロック・レスナーでした。レスナーは、ゴーウェンの母親(といふ設定)が見てゐる前で、せせら嗤ひながらゴーウェンをポストに叩きつけ、椅子で滅多打ちにします。このストーリーは数週間続き、最後には何と車椅子に乗つたゴーウェンを階段から落としてしまふといふ恐ろしいものでした。

 また、数年前にもアメリカのTNAで、両脚を失つた元軍人のプロレスラー(名を失念しました。どなたか教へて下さい)が活躍しましたが、狂人エリック・ヤングが試合中に彼の義足のネジを外して奪つてしまふといふ暴挙を演じて見せます。

 この米国の二つの例は、現在の日本ではタブー的展開でせう。

 

 私なりに解釈しますと、わが国では障害者は「守られるべき弱者」であり、テレビドラマでも苦難を乗り越へる健気で美しい人として描かれる傾向があります。それを虐めるなどとは、例へドラマでも許されない、と言ふよりも障害者やその家族の心中を忖度して描かない。更に、人権団体に気を遣ふ余り自粛してしまふといふのが現状でせう。

 それに比べると、アメリカは元々開拓者の国であり、苦難を切り拓くこと、更に自分でチャンスを物にすることを旨とする国だと思ひます。もちろん建前ですが。それゆへに、プロレスといふドラマの中でも、障害者に機会を与へ、その一方で弱い者は消へてゆくといふ社会の現実を堂々と描くだけ、わが国よりも表現の自由を謳歌してゐると言へるやもしれません。

 

 わが国では今も障害者プロレスが存在しますが、あくまで日陰の存在です。嘗てはミゼットプロレス(こびとプロレス)をテレビで見ることができました。コミカルな動きが楽しく、レスラーたちも「俺は笑はれてゐるのではない、俺が笑はせてゐるんだ」といふ誇りを持つてをりました。

 

 人権と同じく、これも大切なことではないかと考へつつ医院をあとにしました。

 

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